2020年8月29日 (土)

時間泥棒に盗まれて!

昨夜、「晩夏」と言うブログ記事を書いていて急に昔読んだ大人の童話「モモ」を思い出しました。昔と言ってもあれは30代後半でしたからもう30年以上昔になります。ドイツの童話作家、ミヒャエルエンデの「モモ」と言う本で、確か副題に「時間泥棒から盗まれた時間を取り戻してくれた、女の子の話」と言ったようなことが書いてあった様な…。本の現物は何年か前、地元の図書館に所持していた全ての本と一緒に寄贈してしまったので副題は確認できませんが、そんな様な内容だったと思います。

昔はタライで洗っていた洗濯物は洗濯機が出来、ハタキとホウキと雑巾掛けの掃除は掃除機が出来、今や多くの家で毎日洗っていた食器も食洗機にお任せ出来る様になりました。これらによって私達はどれくらいの時間を頂いたのでしょう?。一方、テレビでは毎日沢山の情報、ドラマ、CMが流されスマホを見れば情報、コミュニケーション、ゲームなど色々なことができます。そして多くの人がテレビ、スマホの無い生活は考えられない様な日々を送っています。年寄りの関心事は「丈夫で長生き」「美味しいものを食べたい」「旅行したい」と言ったところでしょうか?

でも、ひねくれ者の私は、みんな便利な生活機器等によって浮いた時間をテレビやスマホなどに全て盗まれていないかと思ってしまいます。モモの中では確か時間貯蓄銀行の営業マンが人々に、時間を貯金する様にセールスしていたと思います。みんな忙しく働き動き回り時間を貯金する様になっていきます。近所付き合いも無くなり、ギスギスした日々を送る様になっていきます。ある意味現代の社会の様に思えます。丁度星の王子さまが自分の星を出発して地球と思われる星に向かう時、凄く早く走る電車、忙しく街灯に火を灯し続ける人を見るたびに驚いた様に!そんな時、モモが、時間泥棒からみんなの時間を取り戻してくれます。

残暑厳しく、熱中症アラートが発令される日々、加えてコロナ、家の中にいる時間が長くなります。そんな日々、テレビ、スマホばかりに時間を費やさず、ご参考までに「モモ」を読んで見られませんか?

2020年8月28日 (金)

晩夏

8月も終わりに近づきましたが残暑厳しく、加えて今日は安倍首相が辞任を発表、コロナは治る様子もなく世間は騒がしい日々が続いています。自ずとテレビを見る時間も増えます。でもこの山里はもう朝晩は涼しく気持ちのいい時間を過ごしています。今、夜の8時半、都会にいれば食事が終わりテレビでも見ている時間でしょうか?この山里での一人暮らし、勉強部屋で机に向かって心静かにしていると、何より気持ちの良い涼しい空気に包まれ肌に心地よいです。そして外では虫たちが夏の終わりを忍びながら歌を歌っています。神様からの素晴らしい贈り物です。そう言えばもう晩夏の夜に虫の声を聞きながらひと時を過ごす。などと言うリッチな幸せをすっかり忘れてしまう様な生活習慣が日本全体に染み込んでいる様に思われます。私の小さい頃は田舎の貧乏屋にはテレビも無く夜は虫の声が当たり前に聞こえていましたし、また聞いていました。生活に便利ないろいろなものがどんどん作られ、自由な時間も一見増加して、また多くの家庭でもその利益に預かる様になりましたが、果たして自由な時間が本当に増えたのでしょうか、人の心は豊かになったのでしょうか?自分の時間が何ものかに盗まれていませんか?勿論、虫の声でお腹はいっぱいにはなりませんが、たまには夜のひと時を心を鎮め、ただ無心に虫の声を聞いていたいものです。もっとも都会では虫もいないか(笑)?この宇宙を経綸される神の恵みに感謝します。

渓流、久し振り!

51a9586ae1ca46f5b460870f824bd463


今日は久し振りの渓流釣り、7月の大雨で川の水が増水、しばらく渓流休み、続けてお盆に入り、お盆中に殺生もどうかと自粛、久し振りにいつもの川へと5時半出発。大雨で川岸の木が流されたり、流木があちこちに散乱、川の様子も変わっており相当雨が降ったことが想像される。例年8月になると水量減少、魚の食いも悪くなり小型のものが中心となるが、さて本日はいかに?川に降りて一投目、2投目、淵の尻の方で当たりがくる。思わず身構える。少し待ってあげると良い型の「アマゴ」嬉しいです。まずは感謝!。そして釣り上がって行く。少しして2匹目、3匹目と釣れる。思っていたより良い型のものが釣れてありがたい。場所をいつも釣れる支流の入り口の淵に変え、そこでアマゴ1匹。その後少し下流に移りアマゴ2匹、岩魚2匹を釣りました。計8匹今日の恵みに感謝します。しかし良いことばかりではありません。3匹目を釣った時タモを使わず陸に抜きました。その時魚が浅瀬に落ちてしまいました。逃してなるかと慌てて魚を捕まえようとしている時、竿の5番目を折ってしまいました。魚は何とか取り込みました。高い1匹となりました。神、与へ、神、奪う。恵みを神から頂いたのですからその戒めも受け入れるべきです。と、思いつつも少し悔やまれます。年を取ると色々間違いを犯します。何事も注意して行う様に反省しました。

でも、そんなこんなで8匹恵まれました。塩焼きに4匹、久し振りの燻製に4匹します。今日の恵みに感謝して無事家に10時半戻ることができました。感謝🙏。

2020年8月 9日 (日)

ジャガイモの収穫

7月中、雨が多く、梅雨が明けても畑がなかなか乾かず、芋掘りを心配したが、昨日やっと終了しました。今年は総じて小ぶりのものが多く、原因は分からないが、植える時少し深く植えすぎたかと推測しています。来年も主が祝福してくださり作ることが許されるなら、少し浅く植えてみたいと思います。一年に一回しか作らない作物は、原因もはっきりとは分からず、試行錯誤を繰り返しながら少しづつ学んでいくしかなく、しかも試せるのは1年後と気の長い話です。でもこの山里のジャガイモは甘くて美味しいと評判です。東京や名古屋の友人に送ってあげると大変喜んでくれます。標高の高さ、寒暖の差の大きさなどが影響するものと推測しますが、はっきりとは分からず、また、自分の力で何が工夫したからでもなく、この環境が与えてくれた恵みであり、神に感謝するしかありません。それから今年は種芋で5キロ作りましたが、この老人が一人で5キロは、土寄せ、掘る、等の労力の大変さが身にしみる様になって来ました。来年は取り敢えず4キロに減らそうと考えています。兎にも角にも4月の植え付けから約3ヶ月半、こうして収穫出来たこと、そして育ててくれた方に感謝を捧げジャガイモの収穫が終わりました。感謝!

2020年8月 2日 (日)

その名も「快豆黒頭巾」の収穫

F6e2ea5009914e39aaa9c854299a7e2a


以前にブログした「快豆黒頭巾」の初収穫です。早速茹でていただきます。期待通りの美味しさです。又、ビールが進んで困ります。梅雨も明けた夏の夕時、陽も落ちて気持ちの良い涼しい空気がこの山里を満たします。取り立ての枝豆にビール、最高です。ひぐらしの声も雰囲気を盛り上げてくれます。この恵みに感謝します。こんな瞬間でしょうか?「友遠方より来たり、また楽しからずや。」しかしこの山里に友は来ません!1人ビールです😄。

2020年8月 1日 (土)

今日の暇潰し!

F5c8b1328bf94300adeecbd1584a2c17


今日は梅雨明け宣言が出ました。久しぶりに夏らしい青空が見えます。しかし昨日までの雨の蓄積で畑は濡れており農作業は出来ません。今日はどうして暇をつぶすかと言うことで、山奥の老人にできることは料理、今日は新ジャガ、小芋の煮っ転がしです。甘辛い醤油味に甘くて柔らかい北あかりの小芋が相まって本当に美味しいです。ここは海抜も900m近くありジャガイモの味が里で取れるものとは違います。私も初めて作り食べた時には驚きました。それ以来ここで取れたジャガイモ以外は食べる気がしません。自然環境の恵みです。この自然を恵んでくださった神に感謝していただきます。

2020年7月31日 (金)

赤トマトのジャム

D4120017618f41d2b439daa895b8255a


長かった梅雨もようやく終わりが見えてきました。昨夜半から朝方まで強い雨が降りましたが10時頃から晴れ間が出て暑くなってきました。雨は上がったものの畑は長い間の雨続きでグシャグシャ、とても農作業どころではありません。一方、昨日トマトが思った以上に収穫になりました。そこで先日はトマトソースを作りましたが、今日はトマトジャムを作ることにしました。毎年、秋には青トマトのジャムは作っていますが赤トマトのジャムは初めてです。でも作り方は同じ、心配は要りません。トマトをぶつ切りにして砂糖を加え煮詰めて行くだけ、時間は少々かかりますが。今日はトマト、1kgです。

5605883a87194954a59985f6fd8c24de

完成したトマトジャムです。1kgのトマトが小さいタッパー3個です😂。パンにつけたりヨーグルトに入れたり、色合いに加え、甘酸っぱい味がなんとも言えず美味しいです。山里で1人暮らす老人の暇潰しと細やかな楽しみです。今日の恵みに感謝します。

2020年7月28日 (火)

トマトソース🍅

4de63ff6f57d415d8ba6207953185fdb


毎日雨が続き畑仕事も出来ず、渓流釣りも雨続きで水量多く危険。こんな時間たっぷりの日々は保存食作りに精を出すのが一人暮らしの老人には最適の仕事。てな訳で今日の雨日和、トマトソース作りをしました。丁度畑のトマトも順調に収穫出来、日によっては一人で消化するには手に余ると言うこともあり、作って冷凍しておけばいつでも使え、あるいはトマトの収穫が終了したころ、トマトのでき始める前の頃にトマトを味わえるので重宝します。

材料はみじん切りのニンニク、玉ねぎみじん切り、それにトマト1cm角ほどのぶつ切り(ちなみに私トマトの皮の食感が残るのが好きで加えて手間も省けるので皮剥きはしません。)

オリーブオイルでニンニクを炒め、玉ねぎを入れて甘味が出るまで炒め、後はトマトを入れてゆっくり煮込むだけです。

E53e9e1f093940b68f24e9314cddea76

完成したトマトソースです。
ジップロックに板状に入れて冷凍します。こうしておけば使いかってもいいです。スパゲティーに、鳥もも肉の煮込みなどにも美味しそうです。本日の食材はみんな畑で取れたもの、沢山のそして美味しい恵みに感謝します。

2020年7月15日 (水)

「心の貧しい人々…」

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」マタイ5:3

これは有名なイエスの「山上の説教」の最初に出てくるイエスの言葉。イエスの伝道活動が始まりガリラヤなどで行った奇跡が評判を呼び、沢山の群衆がイエスの奇跡を頼り、また当時ローマ帝国の占領下にあった人々がその生活の救いを求めて、この人(イエス)はイスラエルで昔より言われているやがて救い主が現れる、と言うその救い主かもしれないと、イエスのところに沢山の人が集まりました。そんな群衆を見てイエスは人々に向かって口を開きます。恐らく群衆は息を呑みどんな素晴らしい教えを頂けるのかと期待に胸を弾ませ最初の一言を待ったことと思います。

そのイエスの放った最初の言葉、それがこの「心の貧しい人々は、幸いである…」でした。群衆にとっては衝撃的な言葉だったと思います。推測するのに、これを聞いた人々は驚き、また何のことか分からなかったのでは無いでしょうか?何か政治的な救いに繋がるような言葉を期待していたでしょうに「心の貧しい人々は、幸い…」だって?何のこっちゃ?とでも言う感じでしょうか?弟子を含め皆この言葉が理解できなかったと思われます。いわゆる12使徒と言われる人たちでさえ、恐らくこの先何年もの間、イエスのこの言葉の本当の意味は理解されなかったと推測されます。この当時のイスラエルの人たちの望む最高に幸せと思われる、誰もがそこに住みたいと思われる「天の国」、それは心の貧しい人達のものだって!分からん!訳がわからん!と言うところでしょうか!

私も初めてこの言葉に出会った時、意味がわかりませんでした。でも、それまでにも仏教や精神世界のことを学んで来ていたこと、その後、聖書も幾度ともなく読み、また関連する本も学んだことから私なりにこのように理解するようになりました。これは仏教で言うなら「無」とか「空」に繋がることではないかと。心が貧しいとは心が貧乏、つまり心に何も無いという事、健康欲、名誉欲、財産欲、地位欲、食べ物のこと、人の目…etc.心に守るべき何の財産も無い、つまり心が空っぽ=貧乏、と言うことではないでしょうか!そしてその空っぽで空いている心に神が入ることが出来ると。色々な思いでいっぱいの心には神が入る隙間がない!水がいっぱいの水瓶にはもう水は入れられない。空っぽの水瓶に水はいっぱい入れられる。だから心を貧しくし空にしていればそこに神は(聖霊は)お入りになり住んでくださる。そしてそのような人は(そのような人の魂は)まさに天の国に入っているんだ、という事ではないでしょうか?この世に在りながら神の国に在ると言うことではないでしょうか。

聖書は書いてある言葉通りに理解しようとしても何が書かれているか、何を言わんとするか理解できないとある本に書いてありました。また、人は肉と霊とから成っていると言われます。聖書の言葉は肉の世の価値観では理解できない。あるいは大して興味の湧く本でもないかもしれません。しかし霊の世界のこととして読んでみると学ばして頂くことが沢山ある。まさに自分の魂のこととして読むことが大事かと。聖書の言葉は魂には「ご利益」(?)が在るがこの世的な意味ではいわゆる「ご利益」は無いかな(笑)と…。

そんなわけでこの「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」と言う御言葉は聖書の中でも大好きな言葉ですし聖書の教えの真髄でもあると思っています。心を貧しくして聖霊と共に日々を過ごせればと思います。このような恵みに感謝します。山里の一人暮らしの老人の長口上とお笑いください。

2020年7月13日 (月)

この世に死んでいて、それでも生きているって?

この世に生きている限り、人はどこまでいっても心から幸せにはなれない。幸せだと思うことはある。しかしそれも一時のこと。いや、そう思っているのはお前の場合で、多くの人はこの世に生きていて心から幸せだと思っているかもしれない。そうなんだ!でもわたしには心からの幸せとその永続性が無く、それゆえ色褪せることのないそんな幸せが欲しい、渇く!。この水を飲むものはまた渇く、それでも飲んだ時は程々に満足していた。でも今はそんな水は要らない!むしろ飲みたくない。一時の潤いどころか今では拒否している。この世はその様な水に溢れている、CMを見れば皆それを唄っている。そして多くの人がそれを求めている様に見える。金と時間があればより多くその水を飲める。また、出来るだけ間を空けずに飲める。皆、その幸せを求めて(?)一生懸命働いている。それが今の世の中の仕組み?、その水を飲むのが幸せなんだよと言っている。さああなたも飲みませんか?美味しいですよ、楽しいですよ、それが幸せでしょう?と。そうするとそれを拒否してるわたしはこの世には死んでいる?現に今生きているけどでも死んでいる?そう、この世には死んでいるのにでも生きているんです。困った!

ではそういった水を飲むのを拒否して他に何か幸せがあるの?そう言う幸せを求めるために使う時間も要らないと時間が余って一層暇でしょう?その暇に任せて何をどうするの?賢治が銀河鉄道の夜の中で言ってます。「でも本当の幸せってどこにあるのだろう。本当の幸せを求めてどこまでも行こうね。」と。そう、わたしの残り少ないこの世での生を使い、ただ一つ目指すのは、この世にあっては求めても求めても遥かに遠く、でも実は本当に身近に、心の内にある「本当の幸せ」、聖書の中でイエスが言っている「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4:13、14、その水を飲んでただ一つ精神の高みへと続く道を歩くこと。それが、私がこの世に生を受けた意味であり神が与えてくださった人生の目的です。なんと!暇な山里の一人暮らしの老人には素晴らしい夢ではありませんか😂。