昔、映画で「十戒」を見たことがあります。キリスト教の十戒を知らない人も「十戒」と言う言葉は映画等を通じご存じの方もあるかと思います。割と有名な言葉ですよね。今朝、聖書を読んでいて考えたことを書いてみます。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」出エジプト20:2、3 十戒の1の戒めです。ここでは、主、神を取り敢えず私のあるいはあなたの1番大事なものと言うくらいに考えてみてください。あなたの1番大事なものは何ですか?と問えば命とか健康とかお金とか考えるでしょうが、それよりもっと大事なものと考えてください。そしてエジプトを欲の国、いわゆるこの世的な国、自分中心主義で、美味しいものを食べたり、立派な家に住んだり、綺麗な服を着たり自分の心の中の欲望に従って暮らす国(ここではそれを欲望の奴隷の家)と考えてみてください。つまり生まれたままに成長した自分の心の中、そしてその現れであるこの世が奴隷の国なのだと考えてみてください。普通、皆このように求めて日々を一喜一憂しながら暮らしているわけで、つまりその心が欲も悩みも苦しみも喜びも作り出す源だと。そしてそのような自分の欲望の心から救い出してくれた、導き出してくれたのがわたしの神だと言っています。つまり、人は生まれたままの心を持って教育を受け社会生活を送り大人になって行きますがそれはこの世の君に支配された心を持って成長することであり本音で厳しく言えば自己中心、自分の欲望の実現を幸せと思う価値観、それに導かれて成長してきたと。(現代ではそれをもろに口にして「〇〇ファースト」などと言う言葉が支持されているようですが、まさに他人のことより自分を優先だ、と言う宣言みたいな…)しかしそれでは本当の幸せは得られませんよ!(本当の幸せとは宮澤賢治の言う「本当の幸せ」と考えてください。)そこから本当の幸せへと導き出してくれたのがわたしの主、神であると。そしてもう二度と奴隷の国に帰ってはいけませんよ、と。つまり救い出してくれた神以外に大事なものがあってはなりませんよ。また欲望の国の人に戻ってはいけませんよと。(聖書ではこれを偶像崇拝とも言ってますが)
長々記述しましたがまとめると、「生まれたままの心でこの世で成長し、たわたしの心は世の価値観、欲などに囚われて(囚われる=奴隷として)生きてきました。しかし神がそのわたしの心を神の方へと向きを変えさせ本当の幸せへと救い出し、導いてくれた。だからもう元に引き返してはいけませんよ、救い主であるわたしだけを(真理)を見つめわたしに従いなさい」と言うのが十戒の1の戒めと考えられるのではないか?日本では宗教などと言うとつい毛嫌いされがちですが、チョット考えてみてくれると嬉しいです。山里の一人暮らしの老人は暇に任せて何を言っているんだとお笑いください。ー梅雨の真っ最中、洪水警報が出ている朝にー