デッサン

昔、絵画を始めた頃に描いたデッサンです。良く根気が続いたものだ😅

昔、絵画を始めた頃に描いたデッサンです。良く根気が続いたものだ😅
後期高齢者の暇な老人👨🦳。全ては神にお任せ、あるがままに、全ては成るようになる。と世を穏やかに見ている。そんな日々の中で最近心掛けていること。それはいつでも「目を覚ましていること」「全てのことに気づきを持って見、動くこと」忙しい日々、皆んな酔っ払い寝ぼけて暮らしている。酔っ払って暮らしていても、目を覚まして暮らしていても外見的には何も変わらない。ただ、酔っ払って暮らしている人は自分が今何をしているのか分かっていない。目を覚ましている人は自分が何をしているのか分かって暮らしている。酔っ払っている人は、イエスが十字架に架けられた時の祈りの中に「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか分からないのです。」とあるが、その状態。一方、今、息を吸っている、今、歩いている。と全てのことを気づき、目を覚まして見ている、その状態。花を見ても、景色を見ても、自然を見ても全てを気づきの中で見ている。すると全ては一期一会であり、また、美しい!よく見ればなずな花咲く…。である。それでもちょっと気を抜くと、直ぐ眠りの中に入ってしまう。眠りと目覚めを行ったり来たりしながら少しでも多くの時間を目覚めて暮らすように努力している。デッサンの再開もその一環のつもり。花びら一枚を、葉っぱ一枚をとにかくよく見つめること。それにはデッサンが1番。そのうちに葉っぱ一枚に宇宙が見えるかな?
後期高齢者となってまもなく一年。新しい発見、特に内面的な発見が続いている。基本的に内面は概ね平安を保っている。心の揺れが少なくなった。多くの事柄を心穏やかに眺めているようになった。選挙運動の政治家発言も、そう腹が立たない。責任ある積極財政?今の日本で積極財政を責任もってやる?借金増えても責任取る?過去にも圧倒的に多くの政治家は国民が喜ぶように積極財政を行なって来た。国債は景気が良くなれば返済できると。景気が良くなってもその発行した国債完済前にまた経済悪化、新しい施策でまた発行、前の首相は責任も取らず辞任すればそれでおしまい!そうやって国債残高はどんどん膨らんで来た。一般家庭なら再建の為サラ金で借金、再建失敗したのに辞任では済まない。てなことを考えたりして腹も立ったものだが、まあ、人間愚かなもの、行き着くとこまで行かなければ引き返せないだろうと傍観している。体の調子が悪い、なんの病気だろう?まあ、老い先短い、御心に従うのみ。左様に多くの事柄を眺めるようになった。一方で毎日ゴルフの練習、ウオーキングに出かける、自然の世界が美しい!絵に描くか?それも鉛筆デッサンで!とか京都の番組で「はんなり」と出て来て、世阿弥と出て来て昔学んだ思いが蘇る。など前向きなこともある。お陰でこころ穏やかなれど、これって多くのことに興味を失って行く認知症では?とも頭の端を横切るが…。
兎に角落ち着いて世の中を見ていられる。まあ言うなれば隠居老人の静かな生活を新しい発見として受け入れていると言った感じ。自分的には精神状態が今までと異なった世界に入ったと感じられる。おそらくこれからの一年一年は老いと共に新しく世界が見えてくるのだろう。それもなんか楽しみだな!と言う後期高齢者の日々です。
瞑想を復活しました。20年以上前から続けていた瞑想をここ4、5年ほどお休みをしていましたが数ヶ月前から復活しました。この4、5年の休んでいた期間は聖書の学びに力点を置いていましたが、数ヶ月前から瞑想を再び始めました。休んでいたこともあり一回20分程度から始め、1日に3回は坐ることを習慣づけてます。そしてその坐る時間を徐々に30分、40分へと伸ばしていきます。ただ、呼吸。入ってくる息、出て行く息だけに心を集中して坐る。時々彷徨い出て行く心を、今ここに戻し呼吸に集中する。不思議と静かな喜び、幸福感に浸れます。人は誰でも幸せを求めて幸せになろうと生きていることと思います。旅行に行ったり、美味しいものを食べたり、気に入った洋服を買ったり、皆その時の幸せを求めています。でも何処にも行かなくても、外に探しに行かなくても、ただ自分の内に幸せはあると感じます。ただ心を色々なところ、色々なことに彷徨わせずに、今ここに居るだけでいつでも何処でも手に入れられる幸せがあります。もちろんお金もかかりません😅。
加えて瞑想の中に「空」「無常」「無我」「縁起」等の瞑想を入れます。瞑想は素晴らしいです。色々な情報が飛び交い、その情報によって知らず知らずのうちにマインドコントロールされてしまう現代人、心が忙しく飛び回り疲れてしまう現代人の心、瞑想はそんな心を救い、まだ情報によって覆われる前の本来の心へと導いてくれます。昔の修行僧の中には坐禅をしたままで死んでいった人もいるとか?。まあ、そこまでは無理ですが自分の本来の家に住み、心を三昧のうちに暮らす日々を目指したいと思います。気づきを生活の中に定着させたいと思います。後期高齢者、残されたこの世での生ももう多くはありません。静寂の内に静かな喜びを!呼吸は素晴らしいです。今、ここに生きています。瞑想はいいよ🧘!
11/5日、我孫子警察に行って免許証を返納して来ました。9/9日の交通違反に発した後期高齢者の免許問題も返納の形で幕を閉じました。75歳、周囲の人からは「まだ良いんじゃない」「車無くしたら不便じゃないか?」と言われましたが思い切って返納しました。11月から我孫子に戻っており、警察にも電動自転車で20分で行きました。
数日の間は、免許取得して45年ほど車を持ち運転していたことの喪失感からか少し気持ちがザワザワしましたが、それを過ぎたらむしろスッキリ感が気持ちを軽くしてくれてむしろ爽快な気持ちです。荷物をまたひとつおろしたぞ、と言う心地よさです。2週間ほど経ちましたが普段の活動は電動自転車で爽快、行き交う車を見ても「みんな気をつけてね。」と言う余裕😆。
思えば9歳の時、家の前で母親を交通事故で失い、そこから全く世界が変わってしまった経験から30歳過ぎまで免許も取らずにいましたが、結婚して子供が出来、これからは車も必要かと、おそばせながら免許を取得、それから40年以上事故もありましたが幸いひと様に迷惑もかけることなく運転免許証を返納でき、これからは車で他人を傷つける心配は無い、と言うことで安心感と解放感で静かな幸せさえ感じます。神さま祝福をありがとうございます。
歳をとって行くと言うのは、ピークに向かって色々なものを手に入れ、それは同時に一つ一つが重荷となっていき、沢山のものを背負ってやっと頂上に立ち、山を降り始めたら今度はこうして一つ一つ荷物を下ろし、身を軽くしてスッキリした気持ち何も持たず神の国へと旅たって行くことなのかと思っています。人生下り坂最高!火野正平😅
本日をもってこのエリアの渓流釣りの解禁期間が終了となります。ブッダに習う慈悲の心、戒律の第1、生きとし生けるものを殺さない。と言う教えと、それでも今日で今年の渓流釣りは最後だから行きたい。と言う欲の葛藤がありましたが、渓流釣りも今年で最後にしようかとも考えており、欲に負け渓流へ出かけました。
渓流の綺麗な水、流れの音、木々の美しさの中に身を置いて静かに、ただ静かに釣りをする、この世界が本当に好きだ!1人この世界に身を置くことの幸せを感じる。朝、6時頃から9時くらいまで釣りをして5匹の岩魚に恵まれました。今晩は1匹を塩焼きにして、今年の渓流釣りを振り返りながら、一杯頂こう、そして中振の3匹は岩魚の炊き込みご飯に、そしてもう1匹は明日の晩の食事に塩焼きでいただこう。
いつも書いていますが、こうして自然は1人の老人が慎ましく生きていくのに十分な必要なものを与えてくれる。全宇宙を経綸する方が魚を育ててくれ、今日、私も元気に釣りができる健康を恵みくださりただ、感謝の祈りを捧げます。感謝していただきます。一方で5匹の魚の命を奪ったのだから魚に赦しと感謝の気持ちを祈り、今年の渓流釣りの終了となりました。ありがとうございました。
山椒の実が真っ赤に色づきました!少し黒みがかった綺麗な深い赤です。初秋の青空によく映えます。自然のなせる技は本当に素晴らしいです。山里に1人暮らす後期高齢者の老人は、しばしその美しさに魅入り、それからその実を少し頂き赤山椒作りを始めます。自然の恵みに感謝です。



今年5月に後期高齢者となり免許証の更新に教習所に行き認知症検査、教習所内のコースで運転指導を受け免許証を更新しました。もう歳だから安全運転に徹しようと一時停止ではピタッと車を止め左右を確認、時速40キロ制限のところでは45キロ程度までに抑え、後ろから車が迫れば左に止まって「お先にどうぞ」とやり過ごし、本当に安全重視で運転してきたつもりです。
ところがです、先日ゴルフに誘われて自分の車を運転してゴルフに出かけました。最近はゴルフに行くのも乗り合わせで若い人の運転する車に乗せてもらっていて自分の運転でゴルフに行くのは何年振り?と言う感じです。しかしこう言う時に問題は起こるもの🥹。帰りに横断歩道の歩道のところに人がいたのに一旦停止して人が歩道を渡るのを優先しなかったと警察に捕まり罰金。罰金はまあ許すとしても後期高齢者、臨時の認知症検査を受けることになるのではないか?と。しかも住所は千葉にあり、こちら長野の山里、その為に千葉に帰る必要になり、何とも面倒だとなりました。
5月に免許更新の際、まあ、今回は更新して次回78歳では免許証返納しようかとも頭をよぎっていたこともあり、それを前倒しで実施しろと天の声が言っているのか?しかしこの山里では免許がないと不便で仕方ない…。と数日悶々としました。しかし2年前に家の近くでガードレールにぶつけた事、今回の違反と続いており、このまま続けて万が一、人様を傷つけるような事故を起こしてはいけない。自分も小3の時、母親を交通事故で失いその後本当に苦労をしたではないか。確かに不便にはなるが、生協に加入して、地元の行政が運営しているオンデマンドタクシーを利用すれば、小回りは効かないものの何とか生きてはいけるか?享楽の一つゴルフは引き続き他の人のお世話になり続けるのもどうかと思うのでこの際止めるか?渓流釣りに行けなくなるが後期高齢者、もう岩場を登ったり、川の中を渡ったり危険もあり潮時かな?と、考え、免許証返納、車売却の方向へ気持ちはほぼ固まってきました。思えば、今回の取り締まりにあったのも天の声、悪く考えれば何で俺が?結構こんな違反をしている人はいるだろう?とも言えるし、否むしろありがたい啓示とも言えるわけで…。加えてゴルフ、渓流釣り等の享楽を辞めれば自分1人の時間も増え、むしろ初心に帰る良いきっかけになる、と考えられるようになって来ました。
思えば早期に退職し女房とも春から秋、別居までしてこの山里に入ったのは何の為だったのか?ただ1人で好き放題ゴルフしたり釣りしたりしてこの世の享楽を求める為だったのか?残りもそう長くも無い人生、自分の楽しみ、便利な生活とこの世的享楽を求めるのではなく他に求め続けなくてはならないものがあるだろう?と考えられるようになって来ました。初心に戻れです。
これが最近、もしかしたら自分の人生のターニングポイントになるかもしれない重大な交通違反が私に及ぼしたことです。だからブログも久しく書いていませんでしたが書きたくなりました。瞑想も復活しました。読書時間が増えました。
本日をもって後期高齢者となりました。良くここまで無事この世を生きてこれたと感謝です。お袋が33歳でこの世を去りましたので、もうその2倍以上を生きてきました。振り返れば過ぎた日々は皆、幻のようなもの、本当にあったことなのか、ただ自分の頭の中でところどころ記憶しているだけのものか分からなくなっています。この世での生活もあと10年のうちには去る確率が増してきて、だんだんその日が身近に起こる実感が湧いてきます。さてそうなると残されたこの世での日々をどうやって生きれば良いのやら?思い切り美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで、好きな趣味を楽しんで、旅行をして、温泉に入り…。どれも楽しそうですが、まあひと時の快楽、今までもかなりそんなことをして来たがそれで真に満足できるわけではなく、所詮虚しいこと。「この水を飲む者はまた渇く」です。ある人が、人生は長い長い暇つぶしと言ったようですが、確かにある面そのような気もします。それじゃあ、残された日々をまた暇つぶしで費やすか…ともなりますが。
聖書にイエスがもうすぐ磔刑にかかりこの世を去る前にこのような記述があります。「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」と。この世を後少しで去る前になすべき事は、自分の楽しみに生きるのではなく、今まで以上に隣人を愛することだと…。オブラートで包みながらも自己中心に生きることを生まれた時からずっと洗脳されて来た人間には、とてもこのように生きる事は難しいけれど、その日に向かってたとえ僅かでもそのような日々を送りたいと思う、後期高齢者の初日です。
一年ぶりにグログを書きます。
今日は1日、雨の予報。先日、さつま芋の植え付けも終わり、春先の仕事も一息。休息の恵みの雨です。この山里はこの時期でも雨が降ると足元が寒く、こたつに入って書いています。先ほどコーヒー豆を挽いてゆっくりとコーヒータイムを楽しみました。ボーっと木々を打つ雨音を聞いて外を眺めていると「静かだなー」とつくづく実感できます。近年、この年寄りにもスマホだ、パソコンだ、と言うものが押し寄せて来て思えばこんなに心静かなひと時は久しぶりのような気がします
現代はスマホ、テレビなどによって情報が飛び交い、その情報を、所詮借り物ではあるが、沢山知っているものが何やら知識人のようなことになっており、体には暇な時間があっても、心の中は情報によって忙しく飛び回っており、本当に静かなひと時、静寂と呼べるようなひと時をなかなか持てなくなっているように思われる。心静かでなければこの宇宙の静寂も、自然の美しさも、そしてそこから受ける静かな喜びも本当には味わえないように思われ反省します。
この世で残されたそう長くない人生を、自然と同化し、この宇宙の静けさの中に憩い、日々を過ごせますようにと祈るひと時です。