« 2020年6月 | メイン | 2020年8月 »

2020年7月

2020年7月31日 (金)

赤トマトのジャム

D4120017618f41d2b439daa895b8255a


長かった梅雨もようやく終わりが見えてきました。昨夜半から朝方まで強い雨が降りましたが10時頃から晴れ間が出て暑くなってきました。雨は上がったものの畑は長い間の雨続きでグシャグシャ、とても農作業どころではありません。一方、昨日トマトが思った以上に収穫になりました。そこで先日はトマトソースを作りましたが、今日はトマトジャムを作ることにしました。毎年、秋には青トマトのジャムは作っていますが赤トマトのジャムは初めてです。でも作り方は同じ、心配は要りません。トマトをぶつ切りにして砂糖を加え煮詰めて行くだけ、時間は少々かかりますが。今日はトマト、1kgです。

5605883a87194954a59985f6fd8c24de

完成したトマトジャムです。1kgのトマトが小さいタッパー3個です😂。パンにつけたりヨーグルトに入れたり、色合いに加え、甘酸っぱい味がなんとも言えず美味しいです。山里で1人暮らす老人の暇潰しと細やかな楽しみです。今日の恵みに感謝します。

2020年7月28日 (火)

トマトソース🍅

4de63ff6f57d415d8ba6207953185fdb


毎日雨が続き畑仕事も出来ず、渓流釣りも雨続きで水量多く危険。こんな時間たっぷりの日々は保存食作りに精を出すのが一人暮らしの老人には最適の仕事。てな訳で今日の雨日和、トマトソース作りをしました。丁度畑のトマトも順調に収穫出来、日によっては一人で消化するには手に余ると言うこともあり、作って冷凍しておけばいつでも使え、あるいはトマトの収穫が終了したころ、トマトのでき始める前の頃にトマトを味わえるので重宝します。

材料はみじん切りのニンニク、玉ねぎみじん切り、それにトマト1cm角ほどのぶつ切り(ちなみに私トマトの皮の食感が残るのが好きで加えて手間も省けるので皮剥きはしません。)

オリーブオイルでニンニクを炒め、玉ねぎを入れて甘味が出るまで炒め、後はトマトを入れてゆっくり煮込むだけです。

E53e9e1f093940b68f24e9314cddea76

完成したトマトソースです。
ジップロックに板状に入れて冷凍します。こうしておけば使いかってもいいです。スパゲティーに、鳥もも肉の煮込みなどにも美味しそうです。本日の食材はみんな畑で取れたもの、沢山のそして美味しい恵みに感謝します。

2020年7月15日 (水)

「心の貧しい人々…」

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」マタイ5:3

これは有名なイエスの「山上の説教」の最初に出てくるイエスの言葉。イエスの伝道活動が始まりガリラヤなどで行った奇跡が評判を呼び、沢山の群衆がイエスの奇跡を頼り、また当時ローマ帝国の占領下にあった人々がその生活の救いを求めて、この人(イエス)はイスラエルで昔より言われているやがて救い主が現れる、と言うその救い主かもしれないと、イエスのところに沢山の人が集まりました。そんな群衆を見てイエスは人々に向かって口を開きます。恐らく群衆は息を呑みどんな素晴らしい教えを頂けるのかと期待に胸を弾ませ最初の一言を待ったことと思います。

そのイエスの放った最初の言葉、それがこの「心の貧しい人々は、幸いである…」でした。群衆にとっては衝撃的な言葉だったと思います。推測するのに、これを聞いた人々は驚き、また何のことか分からなかったのでは無いでしょうか?何か政治的な救いに繋がるような言葉を期待していたでしょうに「心の貧しい人々は、幸い…」だって?何のこっちゃ?とでも言う感じでしょうか?弟子を含め皆この言葉が理解できなかったと思われます。いわゆる12使徒と言われる人たちでさえ、恐らくこの先何年もの間、イエスのこの言葉の本当の意味は理解されなかったと推測されます。この当時のイスラエルの人たちの望む最高に幸せと思われる、誰もがそこに住みたいと思われる「天の国」、それは心の貧しい人達のものだって!分からん!訳がわからん!と言うところでしょうか!

私も初めてこの言葉に出会った時、意味がわかりませんでした。でも、それまでにも仏教や精神世界のことを学んで来ていたこと、その後、聖書も幾度ともなく読み、また関連する本も学んだことから私なりにこのように理解するようになりました。これは仏教で言うなら「無」とか「空」に繋がることではないかと。心が貧しいとは心が貧乏、つまり心に何も無いという事、健康欲、名誉欲、財産欲、地位欲、食べ物のこと、人の目…etc.心に守るべき何の財産も無い、つまり心が空っぽ=貧乏、と言うことではないでしょうか!そしてその空っぽで空いている心に神が入ることが出来ると。色々な思いでいっぱいの心には神が入る隙間がない!水がいっぱいの水瓶にはもう水は入れられない。空っぽの水瓶に水はいっぱい入れられる。だから心を貧しくし空にしていればそこに神は(聖霊は)お入りになり住んでくださる。そしてそのような人は(そのような人の魂は)まさに天の国に入っているんだ、という事ではないでしょうか?この世に在りながら神の国に在ると言うことではないでしょうか。

聖書は書いてある言葉通りに理解しようとしても何が書かれているか、何を言わんとするか理解できないとある本に書いてありました。また、人は肉と霊とから成っていると言われます。聖書の言葉は肉の世の価値観では理解できない。あるいは大して興味の湧く本でもないかもしれません。しかし霊の世界のこととして読んでみると学ばして頂くことが沢山ある。まさに自分の魂のこととして読むことが大事かと。聖書の言葉は魂には「ご利益」(?)が在るがこの世的な意味ではいわゆる「ご利益」は無いかな(笑)と…。

そんなわけでこの「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」と言う御言葉は聖書の中でも大好きな言葉ですし聖書の教えの真髄でもあると思っています。心を貧しくして聖霊と共に日々を過ごせればと思います。このような恵みに感謝します。山里の一人暮らしの老人の長口上とお笑いください。

2020年7月13日 (月)

この世に死んでいて、それでも生きているって?

この世に生きている限り、人はどこまでいっても心から幸せにはなれない。幸せだと思うことはある。しかしそれも一時のこと。いや、そう思っているのはお前の場合で、多くの人はこの世に生きていて心から幸せだと思っているかもしれない。そうなんだ!でもわたしには心からの幸せとその永続性が無く、それゆえ色褪せることのないそんな幸せが欲しい、渇く!。この水を飲むものはまた渇く、それでも飲んだ時は程々に満足していた。でも今はそんな水は要らない!むしろ飲みたくない。一時の潤いどころか今では拒否している。この世はその様な水に溢れている、CMを見れば皆それを唄っている。そして多くの人がそれを求めている様に見える。金と時間があればより多くその水を飲める。また、出来るだけ間を空けずに飲める。皆、その幸せを求めて(?)一生懸命働いている。それが今の世の中の仕組み?、その水を飲むのが幸せなんだよと言っている。さああなたも飲みませんか?美味しいですよ、楽しいですよ、それが幸せでしょう?と。そうするとそれを拒否してるわたしはこの世には死んでいる?現に今生きているけどでも死んでいる?そう、この世には死んでいるのにでも生きているんです。困った!

ではそういった水を飲むのを拒否して他に何か幸せがあるの?そう言う幸せを求めるために使う時間も要らないと時間が余って一層暇でしょう?その暇に任せて何をどうするの?賢治が銀河鉄道の夜の中で言ってます。「でも本当の幸せってどこにあるのだろう。本当の幸せを求めてどこまでも行こうね。」と。そう、わたしの残り少ないこの世での生を使い、ただ一つ目指すのは、この世にあっては求めても求めても遥かに遠く、でも実は本当に身近に、心の内にある「本当の幸せ」、聖書の中でイエスが言っている「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4:13、14、その水を飲んでただ一つ精神の高みへと続く道を歩くこと。それが、私がこの世に生を受けた意味であり神が与えてくださった人生の目的です。なんと!暇な山里の一人暮らしの老人には素晴らしい夢ではありませんか😂。

2020年7月 9日 (木)

コールスロー

Cb9f15eb63694564a1012ebbca409fbc


春に植えたキャベツが立派に成長し直径30cmくらいになったので昨日収穫しました。立派な玉、そして新鮮さに溢れる薄緑色のキャベツは本当に美味しそうです。まず育ててくれた方に感謝します。

しかし問題があります。一人暮らしの老人がこの立派なキャベツを消費するには大変な苦労を伴います。量が多過ぎて1週間やそこらではとても消化出来ません。さらに畑には別のキャベツがもう収穫の時期を迎えています。

一方、今日も朝から雨、畑も、渓流釣りもお休みです。このところの毎日の雨で読書も少し飽きました。こんな日は食料作りだと、朝からキャベツの大量消費を兼ねコールスロー作りです。美味しそうに出来あがりました。写真だけのお裾分けです。😄、(笑)

2020年7月 8日 (水)

初物です!

19c3a2a26c0d447a8f7dc34f7bc72f3a


トマト🍅の初物です。ハウスの中のミニトマトは4日頃から取れてますが、露地物の大玉トマトの初の収穫ができました。トマトは大好きなので嬉しいです。これからはそのトマトを狙うハクビシン、カラスなどと闘いながら、苗を植えてから2ヶ月待ったトマトを愉しみたいと思います。🎉🍅。

十戒「1」

昔、映画で「十戒」を見たことがあります。キリスト教の十戒を知らない人も「十戒」と言う言葉は映画等を通じご存じの方もあるかと思います。割と有名な言葉ですよね。今朝、聖書を読んでいて考えたことを書いてみます。

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」出エジプト20:2、3  十戒の1の戒めです。ここでは、主、神を取り敢えず私のあるいはあなたの1番大事なものと言うくらいに考えてみてください。あなたの1番大事なものは何ですか?と問えば命とか健康とかお金とか考えるでしょうが、それよりもっと大事なものと考えてください。そしてエジプトを欲の国、いわゆるこの世的な国、自分中心主義で、美味しいものを食べたり、立派な家に住んだり、綺麗な服を着たり自分の心の中の欲望に従って暮らす国(ここではそれを欲望の奴隷の家)と考えてみてください。つまり生まれたままに成長した自分の心の中、そしてその現れであるこの世が奴隷の国なのだと考えてみてください。普通、皆このように求めて日々を一喜一憂しながら暮らしているわけで、つまりその心が欲も悩みも苦しみも喜びも作り出す源だと。そしてそのような自分の欲望の心から救い出してくれた、導き出してくれたのがわたしの神だと言っています。つまり、人は生まれたままの心を持って教育を受け社会生活を送り大人になって行きますがそれはこの世の君に支配された心を持って成長することであり本音で厳しく言えば自己中心、自分の欲望の実現を幸せと思う価値観、それに導かれて成長してきたと。(現代ではそれをもろに口にして「〇〇ファースト」などと言う言葉が支持されているようですが、まさに他人のことより自分を優先だ、と言う宣言みたいな…)しかしそれでは本当の幸せは得られませんよ!(本当の幸せとは宮澤賢治の言う「本当の幸せ」と考えてください。)そこから本当の幸せへと導き出してくれたのがわたしの主、神であると。そしてもう二度と奴隷の国に帰ってはいけませんよ、と。つまり救い出してくれた神以外に大事なものがあってはなりませんよ。また欲望の国の人に戻ってはいけませんよと。(聖書ではこれを偶像崇拝とも言ってますが)

長々記述しましたがまとめると、「生まれたままの心でこの世で成長し、たわたしの心は世の価値観、欲などに囚われて(囚われる=奴隷として)生きてきました。しかし神がそのわたしの心を神の方へと向きを変えさせ本当の幸せへと救い出し、導いてくれた。だからもう元に引き返してはいけませんよ、救い主であるわたしだけを(真理)を見つめわたしに従いなさい」と言うのが十戒の1の戒めと考えられるのではないか?日本では宗教などと言うとつい毛嫌いされがちですが、チョット考えてみてくれると嬉しいです。山里の一人暮らしの老人は暇に任せて何を言っているんだとお笑いください。ー梅雨の真っ最中、洪水警報が出ている朝にー

2020年7月 7日 (火)

燻製完成!

1843872f6bcf44ec98125a94842f014c


温燻で約4時間、良い色に出来あがりました。今日はクルミのウッドを使いました。そんな訳で男やもめの老人にはありがたい燻製の出来上がりです。このまま一晩冷蔵庫に置いて明日の夕飯からボツボツいただきます。毎度の記述になりますが、問題は晩酌のお酒がついつい増えてしまうことです。それも含め感謝します。

(写真、左上からベーコン、その右サバ、手前左鶏胸肉、右がチーズです。)

今日の燻製!

4fe3b581ed014821981bd0705da6a96e


今日の燻製メニューです。いつものように、チーズ、鶏胸肉、ベーコン、に加えて初めて塩鯖に挑戦です。手抜きですがスーパーに売っている塩鯖を使い下処理もせずに燻製してみます。燻製にハマり毎週燻製を作っています。燻製は一人暮らしの老人には向いていると思っています。なぜなら作っておけば日持ちはするし、何種類か作ればそれぞれに異なる味わいがあり、その結果数日の食事のメインが一度に出来ると言うことになります。男やもめの一人暮らしは食事に悩まされますがこの燻製のおかげでかなり解消します。と言っても暇な隠居暮らし、昨日はキャベツが収穫になったのでコールスローを作り、それ以外にもぬか漬けを作ったり、カリカリ梅を漬けたり、キャラブキを作ったり、梅酒を作ったり結構最近の田舎のお嬢さん顔負けに頑張ってはいますが…。でもこれらの全てを与えてくれるのは創り主と感謝します。今日はやや自己PRになってしまいました。

(写真は今アトリエで扇風機で常温乾燥しているところで、周りに雑物が写り恐縮です)

2020年7月 6日 (月)

「神の慰めの書」M・エックハルト。

梅雨の真っ最中で毎日雨が続く。農作業はお休み。渓流釣りには最適ながら水量が増しており危険も多いことから自粛。必然的に家の中で過ごすことになる。そんな雨の1日、M・エックハルトの「神の慰めの書」を読み返してみる。何度も何度も読み返した本でページを開くと「そうだ、そう思う」と同調する箇所や、「そう言うことなんだ」と言った箇所の棒線が至る所に見られる。そして余白にはエックハルトが指摘した聖書の言葉が書き写されてある。しかし何度読んでも難しい書である。昔から西田幾多郎をはじめ人間の精神(魂)に分け入った碩学の士が愛し研究し読み継いだ書であるが、一般的にはマイナーの書かと思われる。私も20年以上前に出会って以後、折に触れ読み返して来た。しかしいまだに全て理解できるに至らない。その精神性の高さは自分が学びを続けながら、1年に一回とか読み直し、まだまだ魂の未熟さを認識させられる鏡のような書である。しかし聖書を読み、思索を繰り返し、仏教書を読み、思索し、そして自分の内面を見つめ、自分の魂に分け入る時、創世記にある「神はご自分にかたどって人を創造された。」と言う言葉に慰められる。そして人は霊と肉からなり霊は果てしなく飛翔して神に僅かに劣るまでに成長する。そしてそこは神の庭でありその庭に憩う。神の慰め、憐み、精神的恵の庭に居て、いわゆる人智を超えた平安に至る。これこそ神の人間に対する究極の愛であり、慰めである。それもこれも神が私の魂を神に似たものとしてお造りくださったが故に、創り主のふところに帰り一体となると言うことの大いなる可能性かと思う?。雨の1日難しい書き込みとなりました。「その霊とか魂と言うのは一体何よ、少しは役に立つのか!」とお笑いください。(でも少しでも興味を持たれたら読んでみてください。)