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2019年9月

2019年9月17日 (火)

秋だねエ〜

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コスモスの花が咲きました。秋です。この山里の秋は早く空の色も空気も秋めいてきました。

note薄紅の秋桜が秋の日の陽だまりに何気なく咲いてます

そんな歌詞が知らずと浮かんできます。

「神のなさることは みなその時にかなって 美しい」コヘレト3章

2019年9月16日 (月)

趣味(6)農業

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農業は趣味と言うより生活の糧であり修行です。お寺でも修道院でも自分たちが食べる野菜はみんなで農作業し調達するとか。作務と言うのですかね。また道元は全ての立ち振る舞い、座禅するのも、作務も、顔を洗うのも、風呂に入るのも…etc.全て修行だと言います。私もただ黙々と汗水垂らし働くこと、目の前の「今」に無心に集中する事、それはヘッセの言うように「瞑想」だと思いますし、道元の言う修行だと思っています。それで出来るだけ人力で行うこと、効率とかは考えない、刈った草も全部干して集め堆肥に積み、翌々年の堆肥にします。したがって一昔前の農業スタイルです。そして神様が成長させてくれるのを感謝しながら待ちます。ダメになってもそれが御心と理解しています。でも雨を降らせ、太陽を登らせ私を養ってくださいます。猿の被害も神が育てられたものを神様が猿にも分け与えたと理解すれば諦めもつきます。(まだここには私のものだと言う匂いがしますが)まあいずれにしても自給自足のベースになるのが農業です。これも基本一人で出来ます。これに渓流釣りの魚を恵まれればもうご馳走です。

それに山里の一人暮らし、本を読んだり絵を描いたりだけでは暇であり暇つぶしにも一役買ってくれます。ありがたいことです。このように全てのことを自分の力、努力とかと考えず、全てのことはもっと大きな全宇宙を経綸する方の御心によってなっている。と考え、自分はへり下りその方への感謝で暮らすことは農業から教えてもらうことが多く,何よりの学びです。こんなことが私の農業です。何よりも何よりも頭を下げて感謝をして生きることです。「実るほどに こうべを垂れる稲穂かな」です

これで一通りの趣味の紹介を終わります。少し私の生活も、この山奥に住む理由も分かっていただけたでしょうか?(写真は刈った草を集めた所です。この後一週間くらい干してそれから一箇所に集めて堆肥に積みます。)

趣味(5)渓流釣り

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渓流釣りにハマったのはこの山里に住むようになってからです。釣りは小さい頃から近所のお兄さんに連れられて川に行き、モロコ、ふな、などを釣っていました。後にルアーを覚えブラックバスなど釣りに行きましたがそれほどにはハマりませんでした。こちらに住み始めて、ある人にこの辺に住んでいるなら渓流釣りをやれよ!と言われ、その気になって道具を揃えました。渓流釣りの道具は勿論ピンキリでしょうがそれほど高いものではありません。しかも一度揃えてしまえばランニングコストはテグス、重り、針等で安いものです。あと鑑札を買いますがそれも一回ゴルフに行ったと思えばお釣りがきます。年券を買うので行けば行くほど一回あたりのコストは下がります。私は20回程は行くので一回あたりは数百円です。そうそう、今までやっていたゴルフもこちらに来てやめたので年間2〜30回行っていましたからだいぶお釣りがきます。(最もゴルフやめて浮いたお金はユニセフ、ワールドビジョンに寄付していますが…)加えて何と言っても立地です。一番近い川は歩いて数分ですがこちらは地元すぎてあまり行きません。車で30分見れば5〜6本の川に行けます。それと基本一人で出来ます。総合すると今までの趣味がみんなここに繋がっている事もあります。一人=単独行、山奥の源流域=山、自然、川の流れの音の中、ただ釣り糸を垂れる=絵、音楽の世界等々です。それで一度勧めてくれた人と一緒に行き手ほどきを受け、以後はすっかりハマり単独行です。それに出来るだけ自給自足を目指す生活には貴重なタンパク源です。勿論釣れる時もあるし釣れない時もあります。が、全ては御心のままにです。それに一人で食べるのですからたくさん釣る必要もありません。最初は釣れれば嬉しくてどんどん釣っていましたが、自分の享楽の為に多くの命を殺めてはいけません。今はせいぜい2〜3匹釣ったら止めることにしています。それが2日分の夕飯のおかずです。神様が育てられた渓流魚をこうしていただける恵みに感謝します。

その渓流釣りも9月30日で終了、禁漁期間に入ります。納竿日はガスボンベに食料、コーヒーなど持って行って川で感謝を捧げ昼食を取ろうと思ってます。こんな所にも山の装備、経験が生きてきます。全てに感謝します。

2019年9月15日 (日)

趣味全てはどこに?ーー番外編、そして核心へ!ーその2

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人は皆罪びととしてこの世にやってくる。赤ちゃんは確かに可愛い。しかし冷たい見方をするすれば自分の欲求だけを通す、主張する。お腹が空けば泣く、気分悪ければ泣く、親がそれに応える。そして食事が取れるようになる。自分の好きなものはもっと、と言い、嫌いなものは拒否する。そうやってこの世を生きていくすべを身につけていくのだが基本的に自分中心である。学校へ行き社会人になって行く過程でいわゆる社会の常識などを身につけ、人に優しくとか、人に譲るなども少しづつ覚えるが根っこにあるのは自分中心の生活心である。それは多分いつの時代であれ、この俗世間に暮らす人の普通の感覚だと思います。お金も程々に稼ぎ旅行にも行く、美味しいものを食べる、綺麗な服を着る、仲間と一杯やる、趣味に楽しい時間を過ごす。そして私は程々に幸せだと思う。だけど何か心に空虚なものを感じる。「本当の幸せ」って何だろう?と漠然と思っても追及はしない。

そのような中で私は聖書に出会います。自力の道を自分なりに求めてみて挫折して他力の道に方向転換、そこで聖書に、キリストに向かいます。イエスは言われる「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と。思うに宗教は多くの場合「逆説的」であると。例えばこの世的には、お金持ち、財産豊富、名声ある、地位がある、等々が幸せと。しかし聖書は「貧しい人々は、幸いである」と言う。道元も「貧なるが道に近し」と言う。この世では自分の希望、望むものが適って幸せだと思う。何より自分の命が大事だと思う。しかし聖書は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」マタ16:24、25。「神と富とに仕えることはできない。どちらかである。」「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい。」等々。

そして私は、2016年8月28日に洗礼を受けました。水と霊とによって生まれ変わりました。生まれてから60数年間続いた道の大転換であり求めるものの入り口に辿り着いたと言う気持ちでした。

そして今日に続いています。毎朝、峠を越えて私1人だけの礼拝所に向かいます。そして感謝と祈りを捧げます。人の生活の外見上は何ら変わりません。ただ信仰があるか無いかだけです。私を選んでくださりこの道に導いてくれた神に感謝します。(写真は私1人だけの礼拝堂からの景色です。)

2019年9月14日 (土)

夏の終わり

今日は午前中、キュウリの木の整理、なすの整理。玉ねぎ予定地への堆肥の運搬、夏野菜の整理が進み、一方冬を越す野菜の準備が始まります。少し、もの悲しさも感じますが…。  空もすっかり澄み渡り秋の空です。こんな気持ちの良い空間で体を使う仕事が出来るのはなんて幸せなことでしょう。  感謝!

趣味全てはどこに?ーー番外編、そして核心へ!ーその1

山、読書、音楽、絵、それぞれに一生懸命取り組みました。でもそれらを追い求める核心は何だったのでしょう?前にも書きましたが私は6歳で父を失い9歳で母を失いました。何で?父親がいないだけで片親と差別される時代です。それだけで十分に不幸でした。それなのに何故?神様は私ばかりを試練に合わせるのですか?続けて母を失い経済的にも精神的にも貧しさの底にいました。ただこの二つの大きな悲しみを経験し、世の中に今日あり、また明日もそのままに在ると言う事などないのだ、いつ何が起こるのかわからないのだ、勿論自分の命も。いわゆる「諸行無常」を身をもって知りました。そしてその時から私は目に見えるものは必ず終わりがある、形あるものはいずれ壊れる、目に見える世界に絶対的に頼れるものは無い、と身をもって知り、絶対的に変わることのないもの、それは見えないもの、いわゆる「真理」と言うようなものを探し求め始めました。高校の頃哲学的命題に夢中に議論したのもその事でした。ヨーロッパ文学に夢中になったのもその精神性でした。芸術家の生き方を尊敬したのも彼らが「美」と言うようなものを追い続ける姿勢でした。トルストイは裕福な貴族でしたが自分が富んでいる事に悩みました。財産を全て放棄しようとしました。そして3回目の家出をした時、とある駅で病気で苦しまれなくなりました。彼が求めたのは賢治の言う「本当の幸せ」だったのだと思います。私も本当の幸せを求め山登りから読書、音楽へ絵画へと遍歴します。そしてその間もずっと学んでいたのは仏教です。ブッダについて、そしてのちには禅宗に憧れ、特に道元の生き方に惹かれました。このように人生を歩んで来たものはいつまでもサラリーマンをやっていられる訳がありません。そんなおり50代半ばで高速道路で事故を起こしました。幸い大した怪我もなく救われましたが、いよいよ明日のことは分からないと実感し会社を辞め山奥に引きこもりました。それから毎朝、夕座禅をし、農業、読書、基本自給自足して一種の修行のように真理を追い求めました。しかし結果は惨めなものでした。座禅を通して自分が見えてくるに従い、自分の弱さ、罪深さが見えてきて殆ど絶望的になりました。このまま自分で努力を重ねても結局求めるところに到達出来ないと思いました。そんな時親鸞に触れることが出来ました。親鸞も幼くして親を失い9歳だったか?で出家します。比叡山で20年修行しても悟りを開くどころか煩悩の塊として自分が見えて来て苦しまれます。そこで法然に出会い他力の思想に入ります。いわゆる阿弥陀様に救いを求める。と言う事でしょうか。私は犬飼さんの新約聖書物語も何回か読んでおりまた聖書も時々は読んでいました。そして親鸞に学んだ頃から聖書を読みふけるようになります。そして眼が覚めるように分かったことは「今まで自分の幸せを求め自分の内面に目を向けて悪戦苦闘してきて尚到達できなかった真理というようなこと、それは自分に向いていた目を外に向ける例えば親鸞の言う阿弥陀様に、キリスト教で言う神と隣人へ」と方向を180度変えることでした。それから聖書を勉強しました。分からないところも多く、教会へも行くようになりました。キリスト教で言う「原罪」とは神様に目を向けるべきところを神に背いて自分の思いに向ける(神に背を向ける)ことであり、悔い改めるとはその向きを180度戻し神に向かうと言うことでした。「この水を飲むものは誰でもまた渇く。しかし私が与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4:13〜14とあります。いろいろな趣味、運動、美食、旅行、お酒…etc.それぞれに楽しい、人はできるだけ多くこれらの楽しい事を繋げて楽しみたいと思う。しかしその水は飲んでも飲んでもまた渇き、欲しくなる。と言う事です。

知らない間にこんなに長くなってしまいました。また続きを書きます。感謝!

2019年9月12日 (木)

趣味(4)絵画ーその3

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教室に再入学して本格的に絵画に取り組みました。教室の人数も増えてきて資金的にも少し余裕が出てきたことから時々はモデルさんを頼むことも出来ました。最初の裸婦の時は少し緊張しました。しかし裸婦、いわゆる女性の裸、をしっかり見て、その美しさにも感動しました。そしてまた静物など書きました。私は最初具象画を描いていましたが、だんだんつまらなくなってきて、いわゆるデフォルメしたりするようになりそして抽象へと進みました。最初はその日その日で教室としてのモチーフがありました、しかしそれだと自分がこれで良いと筆を置くところまで同じテーマで書き続けることができず、先生と相談して別途「大作コース」を作っていただきました。そこでは自分の描きたいものをいつまででも、自分がこれで良いと思うところまで描きつづけることが出来ます。ここからが本当の絵画となりました。絵が終わると例によって一杯始まります。そこでは絵画論、作家論、美についてなど議論しながら飲みます。それから場所を変え二次会、そしてカラオケへと楽しい時間でした。先生も小さい頃両親を亡くしており、また絵画以外にも文学、哲学、音楽、宗教等造詣が深く2人で飲むとお互い熱くなり果てしなく議論したものです。先生はバッハが好きでよくバッハに ついて熱く語ってました。それが私もやがてバッハに惹かれる行くきっかけだったかも知れません。そうやって絵を描き議論を重ねるうちに本当に気心知れた心友のようになりました。絵の何たるかも少し分かったように思います。この先生がいなかったら絵も途中で嫌になっていたかもしれません。勿論私も近代絵画の歴史とかもしっかり勉強しました。好きな画家は近代絵画の父セザンヌ、ゴッホ、マチス、クレー、カンディンスキー、ロスコ、等々です。もちろん先生の絵も大好きでした。グループ展も時々開きました。そんな風に25〜6年絵を描き続けました。基本的に仕事は嫌いでしたから40代からは第2の人生について考えていました。元々定年になったら故郷に帰ることは東京に出て来た時から決めていましたが、山、本、音楽、絵と趣味が広がるにつれ田舎に帰って百姓をしながら自給自足を理想に、好きなだけこれらの事をやりたいと考え、段々早期退職制度の利用も考えるようになりました。先生にアトリエを作るとしたらどんな事に気を付けつけるかとか質問するようになっていました。50代初めに田舎に庵を確保して週末を過ごしながら田舎暮らしの練習、そして50代半ばで田舎暮らしを始めます。念願のアトリエもあり思う存分絵が描けると張り切りました。そして今に至ります。

こうして仕事、そして趣味、そして今田舎暮らしへと私を導いてくださった主に感謝します。写真は私の拙い作品です。油絵。

菊芋

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毎回長い話しが続いたので休憩です。青空に映える菊芋の花です。菊芋は天然のインシュリンとも言われる健康食品です。きんぴら、天ぷら、煮物なのに美味しいですよー。難点は生姜のようにゴツゴツしているので加工に手間がかかるところです。知人がスープも美味しいと言ってました。話しと写真だけで恐縮です。riceball

趣味(4)絵画ーその2

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絵画教室の初日、生徒は私と年配のご夫婦の3人でした。先生の略歴を見ると東京芸大卒、フランス留学で現在は個展を中心にフリーに活動となっています。芸大卒と言うだけでビビリました。一応スケッチブックとエンピツ、消しゴムだけ持って行きました。そして先生に恐る恐る「昔、遊びで少し描いたことがありますがこれを機にゼロから始めたい。デッサンの基礎から教えてください」と申し上げました。先生は分かりました。と答えられ取り敢えず必要なものを言ってくれました。スケッチブック、エンピツは薄いものから濃いものまで6〜7本、それにネリ消しゴム、私は普通の消しゴムを持って行ったので少々恥ずかしかったです。そして取り敢えず今日のテーマである静物、花瓶とリンゴだったかを描いてみてくださいと言われました。先生の前で描き始める時、緊張から少し手が震えたのを覚えてます。これが先生との最初の出会いでした。教室は毎週で一回2時間が基本でした。静物は生物が入っており毎週変わります、一方デッサンは2時間では終わらずその度に中途になります。そうしているうちにミケランジェロの石膏の胸像を購入してくれました。それからはミケランジェロに毎週没頭しました。一ヶ月以上ひたすらミケランジェロに取り組んだでしょうか。先生が「これから美大入試を受ける生徒みたいだね。」と褒めてくれました。時々ご覧になって手を入れてくれます。影の部分もエンピツの腹は使いません。いつもエンピツの先は研いでいて線を引くことで濃淡も表しますが、先生のエンピツの線は線の間隔、線のスピード、本当に美しい線で感激しました。そうやって半年くらいデッサンを続けたでしょうか。生徒は年配夫婦はやめられ新しく私と同い年位の女性が入りました。その頃には先生ともすっかり打ち解けていましたが、先生に私も油絵を描いてみたいと話し道具を揃えました。そうやって油絵を2〜3枚描いたでしょうか?新しい女性の生徒も先生も私もお酒が好きで昼過ぎに教室が終わると少し遅めの昼食がてら蕎麦屋に行きます。そこで毎週宴会が始まるようになりました。も1人男性が入って来ました。この人も酒が好きでユーモア溢れる人で益々宴会は盛り上がりました。そうやって2年半くらい経った頃私が大阪へ転勤になりました。残念でたまりませんでしたが、仕方なく教室をやめ大阪へ行きました。大阪では教室には入らずスケッチに京都、奈良に出かけたり、社宅で油絵を描いていました。3年して東京に戻りました。早速教室に顔を出すと先生はいらっしゃいました。生徒も7〜8人に増えており作品を見てみるとかなり熟練の方も数人居ました。私は早速入校しました。ここからが本格的に油絵に取り組む事になります。

長くなりましたので続きはまた書きます。(写真は私の拙い作品です。水彩です)

2019年9月11日 (水)

趣味(4)絵画ーその1

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私と絵画との出会いは18歳の頃山に登り始めた時からです。山に登り休憩時間にはスケッチをしました。何しろ単独行なので自由です。風景、高山植物等勝手気ままに油彩のサインペンで線描します。そして帰りの電車で色鉛筆で彩色、あるいは寮に帰って次の日曜日とかに水彩で彩色、といった具合です。しかしそのうちにもう少し本格的に絵を描いてみたくなりました。基本、何でも独学なので、それにはまずデッサンだと思い石膏像を買ってきて寮の部屋に置きました。そして日曜日とかにデッサンに励みました。長い時間を対象物と自分の作品とだけに集中してひたすらエンピツを動かすのは結構自分的で充実していました。そのうちに油絵に挑戦してみたくなり一揃え道具を揃えました。キャンバスを持って銚子の犬吠埼に行きました。そして初めての作品を描きました。まあしかし作品は当然ながら恥ずかしいものでした。しかし懲りずにその後も何枚か描きました。でもこの頃は絵が何なのか全く分かっていませんでした。小学生の写生と同じです。その頃テニスとスキーを始めており基本的には凝り性ですので絵からは遠のきテニス、スキーに燃えていました。絵の道具も結婚で退寮(29歳)の時後輩にあげてしまい一応絵から足を洗ったことになりました。その後30歳代半ばを過ぎた頃、会社が週休2日になる事になりました。その数年前から土曜日は月1回休み、そして隔週で休みと徐々に土曜日休みは経験していましたが、振り返ってみると結局何をすることなくその日が終わってました。これではこのまま週休2日になってもきっと同じことになってしまう。これを機に何かやろうと思うようになりました。会社でそんな話になると「俺も考えていてカメラでも始めよう」と言う人がいました。私はどうしてそんな思いが浮かんできたのかわかりませんが「そうだ20代で止めてしまった絵を本格的に始めてみよう」と思いました。すると良くしたものでそう思った矢先ある朝、新聞の折り込みチラシを見ていると新しく絵画教室ができ生徒募集が目に留まりました。基本的には人見知りであり、知らない人に指導を受け、知らない人達と絵を描くなどは敬遠するタイプですが、この時は即座に申し込みをしました。後で考えると不思議ですが全ては神様がレールを描いてくれていたのだと感謝します。そしてなんと言ってもこの時にK先生に出会います。勝手に言えばのちに心友となってくれる先生でした。この先生との出会いが本格的に絵の世界に引き込みます。例によって長くなりましたので今日はこの辺で!(写真は私の拙い作品です)