2019年9月 9日 (月)

趣味(2)読書ーその2

ヘッセはヨーロッパの人ですが作品はどこか東洋的で好きでした。特にインドの影響を受けているようで仏教的な作品もあり、また神秘主義的な匂いもありました。晩年はスイスの山奥の湖畔で農業、庭仕事を過ごしたようですが少なからず私の選択にも影響を与えています。庭仕事の楽しみは少し私の農業にも影響しているかも知れません。その中で庭仕事は瞑想であると言ってます。その頃の読書の中心はヨーロッパ文学でしたが、学生運動が盛んな頃でその頃の学生の多くの人が高橋和巳を愛読しており私も「我が心は石にあらず」とか「我が解体」とか、その他結構夢中になって読みました。その中の一冊の開きに副題的に「偽善なるかなファリサイ人よ」と書いてあったのをなぜか記憶に残っておりその頃はなんのことか知りませんでしたが、やがてそれが聖書に登場するファリサイ人だとわかります。少しそれますがその夫人が高橋たか子さんだと思いますが、この頃から30年後くらいに彼女の本を読むと彼女は熱心なクリスチャンになっており「土地の力」などいくつかのキリスト的な著作があり読みました。この辺にもやがて私が聖書に惹かれていく伏線が張られていたのかもし知れません。

そして日本文学へ。20代半ばくらいから日本文学に傾注します。最初にハマったのは川端康成でした。ノーベル文学賞を取った後であったことも影響していくかも知れませんが、彼の美意識に感動しました。繊細な美意識は確か彼も小さいうちに親と別離していると記憶してますが、自分の生い立ちと重ねこの繊細な美意識はきっと小さいうちの大きな悲しみから来ているのだろうと思いました。確か作品の中に「悲しいほどに美しい声だった」と言う文があったかに記憶してますが、彼の美意識はどこか悲しみと言う感情に深く結びついているかと。美の最大の修飾語に「悲しいほど」と言う語を使う感性に多いに惹かれたものです。「美しい日本の私」「竹の声桃の花」などを通し私の感性も磨かれたと思います。でもあまり繊細になるのは人に感じない美まで感じその分幸せとも言えるしまた人に感じないことまで感じて辛いこともありその両面です。そして彼もやがて自殺しましたね。

ヤッパリ長くなります。次回は日本文学の続きを書きたいと思います。こうして今日も書き綴ることのできる恵みに感謝します。感謝!

2019年9月 8日 (日)

趣味(2)読書ーその(1)

趣味のうちの読書についてブログします。

私の高校時代は余り読書好きではありませんでした。ただ2年の頃から生徒会を通じて知り合った仲間、男女5、6人で哲学的命題(?)について話し合うのが好きでした。愛するとは?、信じるとは?人間とは?等々よく果てしなく議論したものです。別に部活とか言う訳ではないので、顧問の先生と言う訳ではなく隣のクラスの30歳代の先生が話し合いに加わってくれました。夏休みなど先生の家に泊まり込みで議論したものです。私の高校時代から将来に亘り一番影響を受けたのはこの先生でした。今あるのもこの先生のおかげかと思うしお陰で迷い道にはまり込んだとも言えます。この時代で記憶に残るのは「我思うゆえに我あり」「人間は考える葦である」などと、石川啄木のいくつかの詩です。高校卒業してから私は殆ど自称「文学青年」でした。私は会社に通いながら夜間の大学に通い独身寮に住んでいました。一年の時は丁度学生運動が盛んな時代で休講が多かったです。御茶ノ水の大学界隈は毎日学生運動が繰り広げられていました。学生運動により東大の入試が無かった歳です。

社会人生活がスタートして会社からは新聞を必ず取り読むように言われました。それで最初は日経新聞を取ってましたが通勤電車で新聞読む時間が勿体無いと3カ月程で辞めました。そして通勤時間はもっぱら読書に集中する時間となりました。その頃土曜日は4時頃には仕事が終わりました。真っ直ぐ寮に帰ってすぐ寝ます。19時頃起きて夕飯、風呂に入って21時頃から寮の図書館で読書朝方4時頃まで読書に集中します。それからそっと部屋に入って寝ます。(200人ほど寮生がいる寮でしたので朝夕の食事付き、風呂も大きく快適でした。ただ入社して5年位は2人部屋なのが難点でした。)

この頃はもっぱらヨーロッパ文学にはまっていました。最初の大作はロマンロランの「魅せられたる魂」そして「ジャンクリストフ」「ベートーベンの生涯」など、そしてゲーテ、トルストイ、ドフトエフスキー、ヘルマンヘッセへと1人の作家の本が気にいるとその作家ばかり読みました。そしてその作家の作品を読み続けているとその作家が作品を通して別の作家を紹介してくれます。例えばロランがトルストイを紹介してくれます。すると大好きなロランが言うのだからとトルストイを読み続けると言う具合です。もちろん作曲家も紹介してくれます。ベートーベン、モーツァルトとか。ヨーロッパ文学は何が好きかって?それは精神の緊張感です。こちらも精神を集中させ真剣に本に向かわないと自分に入ってきません。そして分厚い本3冊くらいで一つの作品でありそれを読み終わった時の精神の充実感はたまりません。残り一時間くらいで読み終えられるところまで来たら夜中の2時くらいまで取っておいてそれから読みます。東京でもそれくらいの時間になると世の中も静まってきてその静けさの中で最後の一時間くらいを集中して本に向かいます。読み終わった時の快感はなんとも言えません。一度などはあまりにも精神が研ぎ澄まされすぎて、もしかしたらこのまま死ぬのでは無いかと感じたくらいです。

ヤッパリ長くなります。今日はこれくらいでまた続き書きます。充実した青年期の読書生活に感謝!

2019年9月 7日 (土)

ブログのタイトル

ブログのタイトルを少し変えて見ました。もともと山の暮れにも人生の暮れ時とかけてつけてみましたが、どうも当たり前すぎると思えてきて…。それで書いている記事も今までの人生を振り返ったり、この年まで色々のことを(山、音楽、読書、渓流釣り、農業、宗教、聖書…etc)自分なりに一生懸命学んできたことであり、それらを統合して人生の晩年に思うことを記事にしていこうと思っているので、ちょっとキザかなとは思いますが副題的に辞世の詩と付け加え「山の暮れにー辞世の詩」と変更しました。芭蕉も自分は句を全て辞世の句との思いで作ったと言ったとか?私もそんな心構えで書けたら良いなと思う姿勢で取り組みます。年寄りがこの世に残すもの、人知れない山村の百姓にこんな爺さんがいたか、と。ポツンと一軒家では無いけれど「ポツンと1人の老人」と言う感じで…。🤗

趣味(1)山ーふろく

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私だけの礼拝堂からのアルプス。毎朝ここで祈りを捧げます。(下のしゃしん)

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趣味(1)山ーその4

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私がひたすら山を愛した時代、少なからずの人は山に精神的な何かを求めていた。何故山に登るのと問われ「そこに山があるから」と答えた有名な言葉がありましたが、少なくとも私にとって山は単なるレクレーション、スポーツ、趣味と片付けられないものでした。まず、幼くして傷ついた心の癒しでした。そして思索であり、また一種の修行でした。確か串田の孫ちゃんに「山への愛と思索」とか言う散文集があったかと。また尾崎喜八も好きで彼のエッセイも山を思う時よく読みました。もちろん深田さんの百名山も。当時山と本による思索は深く結びついていたと思います。私はなぜ山に登るのと問われたら「そこに苦しみがあるから」とでも答えたか?或いは「汗とともにこの世の垢をぬぐい落とせるから」と答えたかも。単独行でテントまで背負うと2泊3日でリュックの重さは15〜20kgくらいになったと思います。背負うと腰にズシッとくるくらいの重さです。小さい頃父親、母親を続けて失い「諸行無常」が身に沁みていましたから私は山へ行く時は部屋の掃除をし、洗濯物を全部して、何かあっても恥ずかしくないようにして出発しました。登山口でバスを降りリュックを背負うと腰にズシッと来ます。その中を山道に足を踏み出します。今回の山への心配、不安、仕事のこと、好きな人のことなどが頭に浮かんでは消えまた浮かぶと言う時間を過ごします。30分で5分休憩を繰り返します。そうやって3時間4時間が過ぎ山の中腹から上に抜けて来る頃には最初考えていたような邪念は汗とともにぬぐい去られています。疲れも溜まって来てそんな雑事を考える余力も無くなっているのかも知れません。自分がそうやって空になって行きます。カッコよくいえば「無我の境地」ですか。そんな時、谷から吹いてくる風に当たる時直感的に「ああ、なんていい風なのだ」と感じます。本当にストレートに私の体に入ってきます。そしてさらに上に。道の端に小さな高山植物が可愛らしく可憐な花を咲かせてます。するとその花が「なんて可愛らしいのだ」とストレートに私のうちに入ってきます。それは前に書いた「よく見ればなずな花咲く垣根かな」の芭蕉の心境でしょうか。

この世にいながらこの世の垢が全てぬぐい去られたあの世にでもいるところで花を見ている、それはその花 にその花本来の美しさを見出した瞬間でしょうか。その花は神様が作られたままの姿でそこにいて造り主の栄光を表しているのでしょう。そう、私の山に登る目的はまさにこの時にあるのでした。それ故に単独行であり苦しみが必要でした。

テントサイトに着きテントを張り泊まりの準備が終わると、ウィスキーの小瓶を持って近くの岩に腰を下ろし少しいただきます。とにかく体は透き通るくらい綺麗になってますから少しで酔いを感じます。その状態でボーと山々の頂を眺め今日の行程をボーと思う。本当に至福のひと時です。だからヤッパリ単独行でないとダメでした。

これが私の山登り!「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。」詩篇19:2〜5とありますが神の懐に抱かれるひと時です。

山を愛するとは、自分の思い、自我を捨てて山に向かい合うこと。

これで趣味、山についてはひと段落とします。感謝!

2019年9月 5日 (木)

趣味(1)山ーその3

とそんな訳でただ1人気心知れた友人も山から遠ざかり以後また単独行が続きました。沢山の山を登りましたがここでは一々書き切れませんので割愛します。その後私も結婚、仕事もだんだん中堅の部類に入り忙しく、仕事の一部とも言えますがゴルフも覚え、付き合いゴルフもあり山からも少し遠ざかりました。50代始めこの山奥に庵を構えたGWに娘が友達を連れて遊びにきて、3人で家の前の山に登りました。海抜は1,680m強ですが北、南、中央、八ヶ岳と見え良い山です。下山して庭でBQ、丁度タラの芽の時期であり女房に天ぷらにしてもらい🍺、これがすっかり気に入ったようで、それまで山など見向きもしなかった娘が山に登るようになりました。2人で北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、中央アルプスなど登りました。それまで家にいてもほとんど会話もしない父と娘でしたが、これらの山行を通じて少しは語り合えたかな?山が良いきっかけになりました。その娘も4年程前に結婚し一児の母となり山は休憩、私は元の単独行に戻りましたが歳も歳、最近は近隣の2000m強位までの山に時々登ります。娘と再開した山の時期は第2次登山ブームと言うのか、とにかくおばさん(失礼)が多い、また若い女性もファッショナブル、山小屋も綺麗になり、北アルプスの小屋に泊まった時など小屋の前の庭は銀座のビヤガーデンかと思うほどでした。それからみんな口数が多い!若かりし頃の山とはかなり異なる登山姿勢に、もう著名な山には登ることも嫌になっているのも事実です。新緑の頃、紅葉の頃のんびりと1人山に登りコーヒーを飲む、あたりにコーヒーの香りが漂う、そして下山1人充実した気持ちになり、ああ「今日1日王であることができた。」と喜びを噛みしめる。そんな山登りです。これで山ーその3を終わります。次回もう一回山の続きで、山に対する内面のこと精神面について書いて終わりにしたいと思います。

今日は天気も一日中ぐずついたはっきりしない日でしたので、いつもの日帰り温泉に1人浸かり、帰って来てこのブログを書きました。多くの恵みに感謝を捧げます。

趣味(1)山ーその2

そんな事で私の山登りは単独行を中心としていましたが、一度だけ会社の希望者を募って大菩薩峠に行ったことがあります。それは当時大好きな先輩女性がいてその人も参加してくれたから。沢山の山行の中でも記憶に残る山行です。それでも入社して5年目に転勤に伴い転寮した寮で同室になった友人とは何故かウマが合いました。彼も単独で山登りをしていました。私が彼の一人部屋に入室したので引っ越し荷物を手伝ってくれた時私の荷物で山登りを知りその日は二人で朝方まで山の話で盛り上がりました。しかしその後も私も彼も基本単独行、数年後に初めて一緒に登るようになります。彼はお酒が強く好きでした。何かと部屋で酒盛りをしました。話題はいつも山です。そんなこともあり私もお酒が好きになりました。彼との酒と山での思い出は毎年12月中旬に夜叉神峠に忘年登山(と言うより酒飲みに)をします。すき焼き鍋を背負って、すき焼きの材料に一升ビンを担ぎ夜叉神峠に登ります。その時期の夜叉神峠は大体雪が30センチ位あります。そこにシートを引きすき焼き宴会です。丁度目の前に白根三山が見えます。一升空けると互いに酔っ払い寝袋に入って一眠り、1時間も眠るとスッキリします。それから撤収、麓の桃の木温泉に向かいます。夕暮れ迫る中なんとも晴れ晴れしい気持ちで歩いたものです。それ以外では、5月の残雪の奥白根山への私の誕生日登山、ケーキ丸ごと一個持っていきます。宴会中心の尾瀬、白髪門、黒部下の廊下、八ヶ岳、鳳凰三山、冬の御坂山塊、丹沢など楽しい思い出がいっぱいです。彼とは今も年1、2度は会って酒を飲みますがお互い年をとりました。私は今も時々低山中心に山に登りますが、彼は腰痛持ちでもう登れないようです。もう一つ思い出にあるのが黒部から帰って、(その日は電車が遅れ寮に着いたのは夜中の12時過ぎでした。)1時頃2人で風呂に入りました。私たち以外には誰も入っていません。洗い場で彼が「俺、結婚する」と言いました。突然のことで面食らいましたが、私はまだ早いだろう、まだまだ山に登りたいと言いましたが、ヤッパリ彼は結婚し彼との山登りは遠のきました。

ヤッパリ長くなりますので今日はその2としてまた続き書きます。老人が昔の思い出を語ると長くなります。2度と帰らない青春のひと時とお許しを!

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2019年9月 4日 (水)

渓流釣り

今日は週一回の渓流釣り、基本、水曜日か木曜日に週後半の晩のおかず、タンパク質確保のため渓流釣りに行きます。更に今月いっぱいで今シーズンの渓流釣りの期間が終了します。それで今月は今までお世話になった河川にお別れがてら順番に回ることにしています。5:30出発、いつもアマゴが釣れる川に行きました。支流が本流に流れ込む淵で良い型のイワナが1匹来ました。有り難い、取り敢えず一晩の塩焼きの魚が確保できた。ただそれからは小ぶりのアマゴが時々釣れるくらいであまり芳しくない。でも、今日は今シーズンのこの川での渓流釣りは最後なので緑の木々を眺めたり、川にいることそのものを楽しみました。

それでも3回目にポイントを変えたところで立て続けにアマゴが3匹上がり、都合6匹となりこれで2日間の晩のおかずの確保ができました。少し小ぶりなものは素揚げにし後は塩焼きにしようと思います。

こうして今日も神様が育ててくださった渓流魚をお恵みください有難うございます。綺麗な水、緑に溢れる森、渓流魚、綺麗な空気、そしてこの静かな神の栄光現れる自然の全て、そしてその中で健康で釣りができる恵みに感謝し、今日の渓流釣りを終わります。感謝!

2019年9月 3日 (火)

趣味(1)山ーその1

今日は趣味のうち山について書きます。

私が生まれたのは信州南部、家からアルプスが見えます。そこに当たり前にアルプスがあり、従って小さい頃は何にもそれに意識する事なく育ちました。そして小さいうちに両親を失いました。この大きな悲しみによって繊細な感性が作られました。経済的にも精神的にも貧しい私は多分周囲に気を遣って生きることを余儀なくされたと思います。中学生くらいから悲しい事や、悩みがあるとき一人で山に登りました。その山に登ると眼下に大きな川が見え、眼前にはアルプスが見えます。そこに30分くらいボーと座っていると何も悲しみ、悩みが解決したわけでもないのに下山する時には晴れ晴れしていました。自然の「気」が癒してくれたのだと思います。東京に就職して独身寮に住んでいました。初任給2万円でしたが自分で働き収入を得られるようになり山に登りました。奥武蔵とか奥多摩とか東京近郊の低い山に月に1〜2回登ります。勿論一人です。ある日曜日の夕方山から帰り寮の風呂で先輩に会いました。私は東京でまだ日が浅く、当然仕事もまだまだなので、恐らく先輩は気を使って「今日はどこかへ行ってきたの」と話しかけてくれました。山に行ってきました。と言うと、山は楽しい?と問われたので「最高です」と答えました。すると先輩が、じゃあ会社の若い人たちも誘ったらいいじゃない。と言われ、それに対して私は生意気にも「いえ、山だけは妥協したくないので一人で行きます」と生意気な応えをしたのを覚えてます。それから山もだんだん奥秩父、丹沢、甲州の山々、八ヶ岳、南アルプス、北アルプス、中央アルプスと広がり、日光連山、東北の飯豊連峰、朝日連峰と広がっていきました。昭和40年代の土曜日の新宿駅を分かる方は懐かしいかもしれません。新宿発23:55南小谷行き夜行列車、その電車を待って地下通路にはリュックを持った人々が長い列を作ってました。中央線沿線から北アルプス方面の登山客は、多くこの電車を利用しました。所謂第一次登山ブームかと。

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その頃の憧れは新田次郎の山岳小説「孤高の人」、確か加藤文太郎だったか?で基本単独行を続けていました。

趣味の項目を一回に一つづつ記述しようと計画しその第1回目で「山」について書き始めましたが、どうも長くなります。今日はここまでを、その1としてまた続きを書きます。人の趣味などどうでもいいと言わずお付き合いください。感謝!

私の趣味(総論)

わたしの趣味についてブログします。長くなるので今回は全体像を書いてのちにそれぞれの趣味について深く記述したいと思います。

山登り、わたしは小さい頃両親を亡くし愛情には恵まれずに育ちました。そんな私の慰め、癒しは自然、特に山でした。悲しい事、悩みなどあると一人で山に登りました。山に登り一人山の中に座っているとなぜか癒されました。スッキリした気持ちで山を降りて来ました。それが高じて山登りが大好きになりました。私の山行の基本は単独行です。

読書、本格的な読書が始まったのは十代後半です。最初「魅せられたる魂」ロマンロランを読んでから読書にはまり二十代半ばまではヨーロッパの文学に熱中しました。ロマンロラン、ゲーテ、ヘルマンヘッセ、トルストイ、ドフトエフスキーと読みまくりました。一人の作家を読むと集中してその作家の本を読みました。そして20代後半から日本文学、川端、三島、福永、夏目、…etc 。そしてこの間も仏教書、聖書関係の本などを読みふけってました。

音楽、音楽はもっぱらクラッシックです。最初に買ったレコードはカールベーム指揮ベートーベンの第九でした。最初のコンサートも第九でした。上野の文化会館で第九を聴き泣いたのを覚えてます。そしてモーツアルト、ハイドン、やがてバッハへと続きます。

絵画、始めたのは十代後半です。最初は山登りで休憩時間等にスケッチをしていました。30代前半、勤務先が週休2日になったのを機に土曜日の有効活用にと本格的に油絵を習う事にしました、この時の先生との出会いが私の絵画にとって大変大きなものとなりました。好きな画家はセザンヌ、マチス、クレー、ゴッホ、マークロスコなどです。

渓流釣り、渓流釣りを始めたのはこの山奥に住むようになってからです。幸い渓流釣りの環境には恵まれてます。何より山奥で一人緑の中に身を置き、清流を眺め水の音を聞きながらただ黙して釣る、本当に私にあっている遊びです。その上神の恵みがあれば夕飯のおかずも確保できます。

農業、生まれた家は少しばかり農業をしていました。早くに親を失ったので小学校の頃から畑の手伝いをさせられました。その頃は辛く嫌でしたが年を取ってからはむしろ喜んで百姓をします。土を耕し、種を蒔き、その成長を見つめ、やがて収穫、有り難いです。感謝です。

それ以外には20代、30代にはテニス、スキーにも夢中になりました。スキーは年取ってからも時々はしましたがまあ上記した趣味に比べれば浅い程度のものです。

以上、取り敢えず各項目にサラッと触れました。これから折々にそれぞれの趣味についてブログしたいと思ってます。退屈かもしれませんがお付き合いください。