2019年9月12日 (木)

趣味(4)絵画ーその3

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教室に再入学して本格的に絵画に取り組みました。教室の人数も増えてきて資金的にも少し余裕が出てきたことから時々はモデルさんを頼むことも出来ました。最初の裸婦の時は少し緊張しました。しかし裸婦、いわゆる女性の裸、をしっかり見て、その美しさにも感動しました。そしてまた静物など書きました。私は最初具象画を描いていましたが、だんだんつまらなくなってきて、いわゆるデフォルメしたりするようになりそして抽象へと進みました。最初はその日その日で教室としてのモチーフがありました、しかしそれだと自分がこれで良いと筆を置くところまで同じテーマで書き続けることができず、先生と相談して別途「大作コース」を作っていただきました。そこでは自分の描きたいものをいつまででも、自分がこれで良いと思うところまで描きつづけることが出来ます。ここからが本当の絵画となりました。絵が終わると例によって一杯始まります。そこでは絵画論、作家論、美についてなど議論しながら飲みます。それから場所を変え二次会、そしてカラオケへと楽しい時間でした。先生も小さい頃両親を亡くしており、また絵画以外にも文学、哲学、音楽、宗教等造詣が深く2人で飲むとお互い熱くなり果てしなく議論したものです。先生はバッハが好きでよくバッハに ついて熱く語ってました。それが私もやがてバッハに惹かれる行くきっかけだったかも知れません。そうやって絵を描き議論を重ねるうちに本当に気心知れた心友のようになりました。絵の何たるかも少し分かったように思います。この先生がいなかったら絵も途中で嫌になっていたかもしれません。勿論私も近代絵画の歴史とかもしっかり勉強しました。好きな画家は近代絵画の父セザンヌ、ゴッホ、マチス、クレー、カンディンスキー、ロスコ、等々です。もちろん先生の絵も大好きでした。グループ展も時々開きました。そんな風に25〜6年絵を描き続けました。基本的に仕事は嫌いでしたから40代からは第2の人生について考えていました。元々定年になったら故郷に帰ることは東京に出て来た時から決めていましたが、山、本、音楽、絵と趣味が広がるにつれ田舎に帰って百姓をしながら自給自足を理想に、好きなだけこれらの事をやりたいと考え、段々早期退職制度の利用も考えるようになりました。先生にアトリエを作るとしたらどんな事に気を付けつけるかとか質問するようになっていました。50代初めに田舎に庵を確保して週末を過ごしながら田舎暮らしの練習、そして50代半ばで田舎暮らしを始めます。念願のアトリエもあり思う存分絵が描けると張り切りました。そして今に至ります。

こうして仕事、そして趣味、そして今田舎暮らしへと私を導いてくださった主に感謝します。写真は私の拙い作品です。油絵。

菊芋

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毎回長い話しが続いたので休憩です。青空に映える菊芋の花です。菊芋は天然のインシュリンとも言われる健康食品です。きんぴら、天ぷら、煮物なのに美味しいですよー。難点は生姜のようにゴツゴツしているので加工に手間がかかるところです。知人がスープも美味しいと言ってました。話しと写真だけで恐縮です。riceball

趣味(4)絵画ーその2

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絵画教室の初日、生徒は私と年配のご夫婦の3人でした。先生の略歴を見ると東京芸大卒、フランス留学で現在は個展を中心にフリーに活動となっています。芸大卒と言うだけでビビリました。一応スケッチブックとエンピツ、消しゴムだけ持って行きました。そして先生に恐る恐る「昔、遊びで少し描いたことがありますがこれを機にゼロから始めたい。デッサンの基礎から教えてください」と申し上げました。先生は分かりました。と答えられ取り敢えず必要なものを言ってくれました。スケッチブック、エンピツは薄いものから濃いものまで6〜7本、それにネリ消しゴム、私は普通の消しゴムを持って行ったので少々恥ずかしかったです。そして取り敢えず今日のテーマである静物、花瓶とリンゴだったかを描いてみてくださいと言われました。先生の前で描き始める時、緊張から少し手が震えたのを覚えてます。これが先生との最初の出会いでした。教室は毎週で一回2時間が基本でした。静物は生物が入っており毎週変わります、一方デッサンは2時間では終わらずその度に中途になります。そうしているうちにミケランジェロの石膏の胸像を購入してくれました。それからはミケランジェロに毎週没頭しました。一ヶ月以上ひたすらミケランジェロに取り組んだでしょうか。先生が「これから美大入試を受ける生徒みたいだね。」と褒めてくれました。時々ご覧になって手を入れてくれます。影の部分もエンピツの腹は使いません。いつもエンピツの先は研いでいて線を引くことで濃淡も表しますが、先生のエンピツの線は線の間隔、線のスピード、本当に美しい線で感激しました。そうやって半年くらいデッサンを続けたでしょうか。生徒は年配夫婦はやめられ新しく私と同い年位の女性が入りました。その頃には先生ともすっかり打ち解けていましたが、先生に私も油絵を描いてみたいと話し道具を揃えました。そうやって油絵を2〜3枚描いたでしょうか?新しい女性の生徒も先生も私もお酒が好きで昼過ぎに教室が終わると少し遅めの昼食がてら蕎麦屋に行きます。そこで毎週宴会が始まるようになりました。も1人男性が入って来ました。この人も酒が好きでユーモア溢れる人で益々宴会は盛り上がりました。そうやって2年半くらい経った頃私が大阪へ転勤になりました。残念でたまりませんでしたが、仕方なく教室をやめ大阪へ行きました。大阪では教室には入らずスケッチに京都、奈良に出かけたり、社宅で油絵を描いていました。3年して東京に戻りました。早速教室に顔を出すと先生はいらっしゃいました。生徒も7〜8人に増えており作品を見てみるとかなり熟練の方も数人居ました。私は早速入校しました。ここからが本格的に油絵に取り組む事になります。

長くなりましたので続きはまた書きます。(写真は私の拙い作品です。水彩です)

2019年9月11日 (水)

趣味(4)絵画ーその1

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私と絵画との出会いは18歳の頃山に登り始めた時からです。山に登り休憩時間にはスケッチをしました。何しろ単独行なので自由です。風景、高山植物等勝手気ままに油彩のサインペンで線描します。そして帰りの電車で色鉛筆で彩色、あるいは寮に帰って次の日曜日とかに水彩で彩色、といった具合です。しかしそのうちにもう少し本格的に絵を描いてみたくなりました。基本、何でも独学なので、それにはまずデッサンだと思い石膏像を買ってきて寮の部屋に置きました。そして日曜日とかにデッサンに励みました。長い時間を対象物と自分の作品とだけに集中してひたすらエンピツを動かすのは結構自分的で充実していました。そのうちに油絵に挑戦してみたくなり一揃え道具を揃えました。キャンバスを持って銚子の犬吠埼に行きました。そして初めての作品を描きました。まあしかし作品は当然ながら恥ずかしいものでした。しかし懲りずにその後も何枚か描きました。でもこの頃は絵が何なのか全く分かっていませんでした。小学生の写生と同じです。その頃テニスとスキーを始めており基本的には凝り性ですので絵からは遠のきテニス、スキーに燃えていました。絵の道具も結婚で退寮(29歳)の時後輩にあげてしまい一応絵から足を洗ったことになりました。その後30歳代半ばを過ぎた頃、会社が週休2日になる事になりました。その数年前から土曜日は月1回休み、そして隔週で休みと徐々に土曜日休みは経験していましたが、振り返ってみると結局何をすることなくその日が終わってました。これではこのまま週休2日になってもきっと同じことになってしまう。これを機に何かやろうと思うようになりました。会社でそんな話になると「俺も考えていてカメラでも始めよう」と言う人がいました。私はどうしてそんな思いが浮かんできたのかわかりませんが「そうだ20代で止めてしまった絵を本格的に始めてみよう」と思いました。すると良くしたものでそう思った矢先ある朝、新聞の折り込みチラシを見ていると新しく絵画教室ができ生徒募集が目に留まりました。基本的には人見知りであり、知らない人に指導を受け、知らない人達と絵を描くなどは敬遠するタイプですが、この時は即座に申し込みをしました。後で考えると不思議ですが全ては神様がレールを描いてくれていたのだと感謝します。そしてなんと言ってもこの時にK先生に出会います。勝手に言えばのちに心友となってくれる先生でした。この先生との出会いが本格的に絵の世界に引き込みます。例によって長くなりましたので今日はこの辺で!(写真は私の拙い作品です)

2019年9月10日 (火)

草刈り

今日は早朝より草刈り、今日は暑くなるとの予報につきなるべく早いうちにと。ビーバー燃料満タン草刈り開始。前回はいつ刈ったのだろう?一ヶ月少し前くらいか?雑草だけはどんな環境でも元気に育つ、野菜を育てることから見れば羨ましい!これから山奥のこの地は急速に寒くなってくるので今年の草刈りがこれが最後となることを祈る。山奥の畑、田は斜面が(いわゆるのり面の傾斜)が多くて大変だ。それでもここ4日間くらい毎日少しづつ刈ってきて今日でひと段落、これをシーズン中に4〜5回やる。老人にはだんだん堪えるようになってきた。

そしてこの刈り草を4〜5日そのまま乾かす。それを全部集めて堆肥に積む、これが再来年の堆肥になる。いわゆる有機農法の肥料です。昔はみんなそうしてたものですが今はこの山村でもこのように刈り草を堆肥に使う人も余りいない。時間があって金のない私にはあっている。が結構大変だ。

こうして今日の農作業が終わる。今日もこうして元気に働けることに感謝します。

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趣味(3)音楽ーその(2)

それ以外にはショパン、ブラームス、シューベルト、ビバルディ、チャイコフスキー、ハイドンなどを聴いていました。そして年数回コンサートに行きます。コンサートもそのうち室内楽を小ホールで聞くのが好きになり文化会館の小ホールが好きでした。室内楽のコンサートは大ホールでの割とポピュラーな曲に比較するとマイナーで聴衆も本当にクラッシックが好きな人が多いように感じました。曲が終了した時のホール全体をつつむ沈黙感が最高でした。みんなの気持ちが演奏に、曲に集中してその研ぎ澄まされた沈黙が、精神がホール全体を支配していました。そして30歳代後半にバッハにたどり着きます。これには後で趣味、絵画のところで登場するK先生との出会いが影響していると思いますがそれについてはまた後日。

バッハは最初宗教曲から入りました。カラヤンのマタイ受難曲、ミサ曲ロ短調、そして無伴奏チェロ、無伴奏クラヴィア等へ。彼の時代には当然求められたものだと思いますが形式に厳格な計算され尽くされたようなメロディに段々と惹かれて行きました。所謂ヨーロッパの形式美的な、そしてそこからくる緊張感が自分の精神を清めてくれます。武満さんが「音沈黙とはかりあえるほどに」?だったか著作がありますが優れた音楽はいつも沈黙と並行して流れており音が止まると沈黙だけが残る。と言う感じでしょうか?確かピカートに「沈黙の世界」と言う本がありましたが彼の言う全てに満ち足りているような充満した沈黙の世界があるように思います。

これで音楽についてを終わります。こうしてクラッシックの道に導いてくださった神に感謝します。「人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。」箴10:22

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趣味(3)音楽ーその1

私とクラッシック音楽との出会いは18歳の時でしょうか。

私の勤務地の近くの学校に通っている高校の同級生がいました。その学校に通っていることは知りませんでしたがある日会社を出た時バッタリ彼に会いました。それでお互いのことを知りました。彼は高校の時私の隣の席でしたがそれほど話をした中でもありませんでしたが、お互い東京に出てきてまだ間も無くどこか寂しさはありましたからそれからは毎月2回ほどは飲むようになりました。私の給料日と彼の給料日です。そこでの話の中でクラッシックの話が出ました。彼は一人暮らしの叔父さんと住んでましたがその叔父さんがクラッシックフアンでした。その影響か彼もクラッシックについて一応の事を私に話します。一度叔父さんのところに遊びに来いと言う事でお邪魔しました。立派なオーディオがありバッハを聞かせてくれました。私は即座にオーディオが欲しくなり、そんな話をしていると叔父さんが現金で一括で買った方が安くなるからとお金を貸してくれることになりました。確か10万円位だったと思います。(その頃の私の月給は2万円でした)それをボーナス何回かで払えば良いと言うことでした。喜び勇んで当時の私には分不相応のオーディオを買いました。そして最初に買ったレコードがベートーベンの第九でした。ロマンロランの第九交響曲と言う本も読んでいましたし、ベートーベンの生涯も読んでいましたから迷いはありません。ただ当時クラッシックのレコードは一枚2千円以上しましたから私には給料の一割、高い買い物でした。しかし逆に月に2枚も買えないので毎日そのレコードを聴いていました。盤が傷んで数年後同じレコードを買い直すほど聞きました。それが良かったです。同じレコードを毎日聞くのでかなりのメロディを暗記して口ずさむことができました。また合唱の部分の歌詞はドイツ語ですがロランの本を読んでいたので日本語で理解することが出来ました。多くの日本人が年末になると第九のコンサートに行くと言うのもわかる気もします。私も最初のコンサートはその年の暮れの上野の文化会館で第九を聞きました。感動で涙が溢れたことをよく覚えています。それから月に一枚くらいのレコードを買って何度も何度も聞きました。ベートーベンの他の交響曲、室内楽、宗教曲、それからモーツァルト、あの小林秀雄が「疾走する悲しみ」と言ったとか言う40番、そしてジュピターと言われる41番、室内楽、オペラ、宗教曲、モーツァルトの天上の音楽と言われるあの何とも言えない軽やかさが大好きでした。後年お金に余裕が少し出てきた時にはモーツァルトの全曲のCDを揃えたほどです。魔笛、フィガロ、レクイエム、ピアノ協奏曲、好きな曲は沢山あります。また、作曲家、楽曲に関する本もよく読みました。

やっぱり長くなります。今日はこの辺で。感謝!

2019年9月 9日 (月)

趣味(読書)ーその3

 その後しばらく三島由紀夫に傾注しました。彼の割腹自殺は昭和45年だったかと。彼の自殺のニュースを聞いて泣いていた友がいました。彼も川端とは違う耽美主義者であったかと?彼の作品で最も記憶に残るのは丁度市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺を図る前に完成されたと言われる「豊穣の海」4部冊でした。本の装丁も大変美しかったです。ピユアな恋愛小説とでも言える第1巻の「春の雪」本当に美しい恋愛です。そしてそこから始まる輪廻転生の物語それぞれの巻に主人公が出てきますがその主人公は第1巻の主人公が輪廻転生し生まれ変わった者そして4巻を通じて出てくる本田さんはそれぞれの立会人とでも言いますか?そして圧巻は最終の場面のお寺でその本田さんが直面するのは今までの全てを否定するような、何もなかったのごとくするような、何も無い世界に自分がいると言う終末。仏教の無、とか空と言うような世界。全てがあるのに何も無いと言うような世界です。これを読み終えた時衝撃でした。しばらく呆然としたのを覚えています。三島の辞世の句は「益荒男がたばさむたちの鞘なりに幾年耐えて今日の初霜」だったでしょうか?全て記憶の世界なので間違っていたら失礼!

そして辻邦夫もほとんど全て読みました。特に「嵯峨野明月記」「背教者ユリアヌス」などが好きです。彼の少し神秘主義的な作品に惹かれました。あとは日本の作家で特に読んだのは漱石、遠藤周作などなどです。

そしてこれらの読書生活の中でもずっと精神界に関心が深く、仏教関係の本、道元についての学び、犬飼さんの「新約聖書物語」などはずっと読み続けていました。これらが長じてやがて聖書に行き着き現在の愛読書といえば聖書です。よく無人島に一冊の本を持っていくとしたらと言う質問がありますが、現在は何と言っても聖書と答えるでしょう。この辺のところはまた書きます。

どうも書き出すと長くなります。ある意味一生を振り返っていますので。読書についてはこの辺で終わりにしておきます。続いて音楽について書きます。長くなって、もし読んでいてくださる方がいたら退屈かと思いますがお許しを!

趣味(2)読書ーその2

ヘッセはヨーロッパの人ですが作品はどこか東洋的で好きでした。特にインドの影響を受けているようで仏教的な作品もあり、また神秘主義的な匂いもありました。晩年はスイスの山奥の湖畔で農業、庭仕事を過ごしたようですが少なからず私の選択にも影響を与えています。庭仕事の楽しみは少し私の農業にも影響しているかも知れません。その中で庭仕事は瞑想であると言ってます。その頃の読書の中心はヨーロッパ文学でしたが、学生運動が盛んな頃でその頃の学生の多くの人が高橋和巳を愛読しており私も「我が心は石にあらず」とか「我が解体」とか、その他結構夢中になって読みました。その中の一冊の開きに副題的に「偽善なるかなファリサイ人よ」と書いてあったのをなぜか記憶に残っておりその頃はなんのことか知りませんでしたが、やがてそれが聖書に登場するファリサイ人だとわかります。少しそれますがその夫人が高橋たか子さんだと思いますが、この頃から30年後くらいに彼女の本を読むと彼女は熱心なクリスチャンになっており「土地の力」などいくつかのキリスト的な著作があり読みました。この辺にもやがて私が聖書に惹かれていく伏線が張られていたのかもし知れません。

そして日本文学へ。20代半ばくらいから日本文学に傾注します。最初にハマったのは川端康成でした。ノーベル文学賞を取った後であったことも影響していくかも知れませんが、彼の美意識に感動しました。繊細な美意識は確か彼も小さいうちに親と別離していると記憶してますが、自分の生い立ちと重ねこの繊細な美意識はきっと小さいうちの大きな悲しみから来ているのだろうと思いました。確か作品の中に「悲しいほどに美しい声だった」と言う文があったかに記憶してますが、彼の美意識はどこか悲しみと言う感情に深く結びついているかと。美の最大の修飾語に「悲しいほど」と言う語を使う感性に多いに惹かれたものです。「美しい日本の私」「竹の声桃の花」などを通し私の感性も磨かれたと思います。でもあまり繊細になるのは人に感じない美まで感じその分幸せとも言えるしまた人に感じないことまで感じて辛いこともありその両面です。そして彼もやがて自殺しましたね。

ヤッパリ長くなります。次回は日本文学の続きを書きたいと思います。こうして今日も書き綴ることのできる恵みに感謝します。感謝!

2019年9月 8日 (日)

趣味(2)読書ーその(1)

趣味のうちの読書についてブログします。

私の高校時代は余り読書好きではありませんでした。ただ2年の頃から生徒会を通じて知り合った仲間、男女5、6人で哲学的命題(?)について話し合うのが好きでした。愛するとは?、信じるとは?人間とは?等々よく果てしなく議論したものです。別に部活とか言う訳ではないので、顧問の先生と言う訳ではなく隣のクラスの30歳代の先生が話し合いに加わってくれました。夏休みなど先生の家に泊まり込みで議論したものです。私の高校時代から将来に亘り一番影響を受けたのはこの先生でした。今あるのもこの先生のおかげかと思うしお陰で迷い道にはまり込んだとも言えます。この時代で記憶に残るのは「我思うゆえに我あり」「人間は考える葦である」などと、石川啄木のいくつかの詩です。高校卒業してから私は殆ど自称「文学青年」でした。私は会社に通いながら夜間の大学に通い独身寮に住んでいました。一年の時は丁度学生運動が盛んな時代で休講が多かったです。御茶ノ水の大学界隈は毎日学生運動が繰り広げられていました。学生運動により東大の入試が無かった歳です。

社会人生活がスタートして会社からは新聞を必ず取り読むように言われました。それで最初は日経新聞を取ってましたが通勤電車で新聞読む時間が勿体無いと3カ月程で辞めました。そして通勤時間はもっぱら読書に集中する時間となりました。その頃土曜日は4時頃には仕事が終わりました。真っ直ぐ寮に帰ってすぐ寝ます。19時頃起きて夕飯、風呂に入って21時頃から寮の図書館で読書朝方4時頃まで読書に集中します。それからそっと部屋に入って寝ます。(200人ほど寮生がいる寮でしたので朝夕の食事付き、風呂も大きく快適でした。ただ入社して5年位は2人部屋なのが難点でした。)

この頃はもっぱらヨーロッパ文学にはまっていました。最初の大作はロマンロランの「魅せられたる魂」そして「ジャンクリストフ」「ベートーベンの生涯」など、そしてゲーテ、トルストイ、ドフトエフスキー、ヘルマンヘッセへと1人の作家の本が気にいるとその作家ばかり読みました。そしてその作家の作品を読み続けているとその作家が作品を通して別の作家を紹介してくれます。例えばロランがトルストイを紹介してくれます。すると大好きなロランが言うのだからとトルストイを読み続けると言う具合です。もちろん作曲家も紹介してくれます。ベートーベン、モーツァルトとか。ヨーロッパ文学は何が好きかって?それは精神の緊張感です。こちらも精神を集中させ真剣に本に向かわないと自分に入ってきません。そして分厚い本3冊くらいで一つの作品でありそれを読み終わった時の精神の充実感はたまりません。残り一時間くらいで読み終えられるところまで来たら夜中の2時くらいまで取っておいてそれから読みます。東京でもそれくらいの時間になると世の中も静まってきてその静けさの中で最後の一時間くらいを集中して本に向かいます。読み終わった時の快感はなんとも言えません。一度などはあまりにも精神が研ぎ澄まされすぎて、もしかしたらこのまま死ぬのでは無いかと感じたくらいです。

ヤッパリ長くなります。今日はこれくらいでまた続き書きます。充実した青年期の読書生活に感謝!