昔のテレビドラマ「北の国から 遺言」を見た。一方で今週は前半に女房、娘、孫、続いて後半に息子が来て「接待」が続いた1週間でした。折しも世間はコロナで騒がしく、目に見えないウィルスに何時感染をするかもしれない不安と背中合わせの時期である。
ドラマの中でいくつかの記憶に残る言葉がありました。冒頭に牧場が倒産したことについて語る、誰が悪いと言うわけでは無い。「今の時代の運命みたいなものだ。」「収穫期の農作物が一晩の嵐で全滅するみたいに、」「そういうふうに神様が決めたんだ。」
今日9/27日、「北の国から 遺言 後編」を見た。何度も何度も涙を流した。記憶に残る言葉、最後の方のところで娘と孫が「富良野」の駅を出発して親父の元を去っていく場面、親父は孫と別れたくなくて電車を追いかけてホームからさらに線路まで追いかける場面、みっともないくらいな姿、その場面での息子の思い。
「恥ずかしいくらい父さんは泣き、恥ずかしいくらい父さんは走った。でも、僕はその父さんに感動していた。父さん、あなたは素敵です。あなたのそういうみっともないところも昔の僕なら軽蔑したでしょう。でも今、僕は素敵だと思います。人の目も何も一切気にせず、ただ直向きに家族を愛すること。思えば父さんのそういう生き方が、僕や蛍をここまで育ててくれたんだと思います。その事に僕らは今頃ようやく少しだけ気づき始めているんです。父さん、あなたは素敵です。」
それからラストシーンで親父の「遺言」の内容「純、蛍、俺はお前らに残してやれる物がなんも無い。でも、お前らには、うまく言えんが残すべきものはもう残した気がする。金や品物はなんも残せんが、残すべきものは伝えた気がする。自分が死んだ後の麓郷はどんなか?きっと何も変わらんのだろうな。いつものように春には雪が溶け、夏、花が咲いて畑に人が出て、いつものように平井の親方が夜遅くまでトラクターを動かし、いつものように○○さんが働く、きっと以前と同じなんだろう。金なんか望むな。幸せだけを見ろ。ここにはなんも無いが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には十分毎年食わせてくれる。自然から頂戴しろ、そして謙虚に慎ましく生きろ。それが、父さんの、お前らへの遺言だ。」 この最後の方の言葉は特にこの山里の一人暮らし、自給自足に近い生活、山から山菜をいただき、畑から作物をいただき、渓流から魚をいただく。山や空や空気に魂を癒されながら暮らすこの老人の身に染みる言葉です。多分、お父さんは意識に無くても自分の一番大事なもの「信仰=愛」を伝えたのでしょう。
このドラマは2002年、もう20年近く昔のドラマだ。時代はスピードを上げて変わっており人間が「生きている」と言う実感が薄れる時代になった。このドラマの中にも出てくるが昔は農村の田植え、稲刈りなどには「結」と言う習慣があった。いわゆる相互助け合いで、忙しい時「労働」を提供し次に提供を受けた家が他の家が忙しい時に同じ「労働」でお返しすると言うもの。それは、お金とか、もので代用できるものでは無かった。今はお金さえあればなんでも買え、更にネットで写真を見て注文、手で触って見ることさえ不要の時代となった。段々自分の肉体を使って働くことは減って行き、パソコン、頭脳で働く時代となり、どんどんバーチャルな世界で物事が行われて実感が乏しくなった。あの人の個人資産が○○兆円、と言っても本人でさえ実感できるのか否か…。当然人と人との関係もバーチャルっぽくなって希薄なものとなって行く。人間が生きていたと言う事実さえ段々どうでもいい様な時代へと進んでいる様に思える。「誰々が亡くなったって」と情報が入り「そうなんだ」くらいで終わり、しばらく過ぎるとその事実さえ忘れられて行く。一方、年寄りはどう生きたかより、元気で長生きばかりを求めているように思える。BSのコマーシャルを見ていると健康食品、若さ維持商品の宣伝ばかりだ。
そんな時代、人は一体何を遺せるのだろうか?結婚式で必ずと言うくらい用いられる有名な聖書の言葉、1コリント13章「愛」の中に次のような言葉があります。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」1コリント13:13 北の国からのお父さんのようにただひたむきに家族を愛する愛、それも願わくばこの世的な「ラブ」ではなく「アガペー」無償の愛、自分を差し出した愛、例えば自分の時間、自我、持ち物、もちろん最大のものは自分の命、痛みを、犠牲を伴う愛。そんな愛だけが本当に遺せるものなのでしょうか?
マザーテレサは言っています。「自分が傷つくまで分け与える。自分のものを、時間を。傷つくまで分け与えないのは施しであって、愛ではない。」と。マザーの足跡は今もそしてこれからも生き続ける。マザーまでは出来ないまでも、とにかく家族を隣人を愛し抜く事、それだけが私に遺せる事。遺せるもの!。何が起こったとしても、この世の全ては神の計画と素直に感謝して受け入れ、その中にあって、家族、隣人に出来るだけ仕え、尽くす、ただ一生懸命そうするだけ。願わくばその中で信仰を伝えたい。そうすれば後は信仰が家族を隣人を守ってくれる。私に遺せるものはそれで全てです。主の導きに感謝します。