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2023年9月 3日 (日)

老いを受け入れて。

今年はこちらの山里に来てから朝方足が攣る。自分で「魔の3時」と呼ぶようになったが、朝方3時頃になると必ずと言うほど足が攣る。痛い、痛い。起きて寝ぼけながらテーブルのまわりを歩き回りながら足の筋肉をほぐす。治るまでに5分くらいかかる。これが毎朝である。寝不足になる。なかなか辛いものである。まず寝る前にまた明日の朝方足が攣るのかと不安を抱え横になる、そして案の定、足が攣る。時計を見るとやはり3時頃。さすがに毎日は堪える。医者に行く。こむら返り、攣りの原因は色々あり特定しにくい、とりあえず薬を出しましょう。と漢方薬をもらう。この薬がまた品薄らしく多くは出せないと。世の中にはそんなに攣る人がいるのか…。3時頃予兆がして起きて薬を飲む。治って寝るが今度は4時頃足が攣る。如何ともどうにもならない😢。人の話では水分が不足しているのではないか、と言う。今まで以上に水を飲む。スポーツ飲料がいいからと言われ、ポカリスウェットを毎日飲む。これが3ヶ月、4ヶ月と続く。血流が悪いからとウオーキング、ストレッチを増やしてみる。少し軽くなったような気がするか…。

しかし良くしたものだ。4ヶ月、5ヶ月と続くとだんだんドタバタしなくなる。ストレスでは無くなる。「忍耐は練達を」と言うことか。もはや諦めて、受け入れる。むしろこのような状態になった時忍耐する力を下さいと祈り、受け入れることを考える。良くしたもので、そうなるとあまり不安、心配でも無くなる。攣ることを受け入れ、歳を取ればこんなものだと、普通に対応する。医者もいいか!行っても同じことだ。と行かなくなる。

これから更に歳を取っていき、こんなことがあれこれ起こるようなことになるのだろう。益々不自由なことが多くなっていくのだろう。人が老いるということはそう言うことなんだろう。しかしそれにいちいち心を騒がせドタバタと対応するのではなく、全てを「受け入れる」ことを、それも慌てず騒がず心静かに「受け入れる」ことを学んでいくのが「老いる」と言うことの学びなのではないか。少しかっこ良く言えば「達観」と言うことか。それが「私の願いではなく、御心のままに行ってください」と言う祈りになっていくのだろう。そしてそれが何であれ喜んで御心に従えるような心境にまで至れば本当の「平安」が訪れるのかも知れない。きっと物静かな美しい老人なんだろう。そんな老人になりたいものだ。神よ、どうかその日までお導きください。

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