むなしい!
昨日は一年に一回の兄弟会ゴルフ、終了後は三男宅で懇親会。他人は仲の良い兄弟で良いね👍、と言ってくれる。確かに深いところでは一致はなくても表面的にはお互い妥協しあってほどほど仲の良い兄弟かと思われる。そして概ね健康で一年に一回、兄弟でゴルフ、ありがたいことである。三人兄弟の長男が私、次男が家は継いで大工、三男はメガネ貴金属店の会長、社会的には概ね成功した部類に入る兄弟かと思われる。加えてゲストに地元の先輩の4人。ゴルフはショットが安定せずラウンド中の修正も出来ず散々な出来。懇親会、こんな時はいつも私はあまり口を出さないようにしている、それは話題が大体地元の世間話、ゴルフの話、こんな時は次男の声が大きく、わたしが同調できなくて発言しても次男の声が大きくなるばかりだし、言い合ってみてもほとんど意味がないと思っているから。ところが今夜は何かの話題をきっかけに仏教の話になる。菩提寺は曹洞宗のお寺であり道元の話、法句経の話、ブッダのこと、そこから俳句の話など…。どちらかと言えば自分が学んでいる世界のことで、口数が多くなる、また話の展開から自分の主張に自信を持って自己主張を始める。やがてお開き、どこかで自分の学んだ知識を見せびらかすような嫌な自分を見、喋りすぎた自分に嫌悪感、いくら発言してみても酒の席、お互いその話から得るものは何もないまま忘れるのだろう。結局虚しさだけが残る。この何年間か滅多にはないことだが、このように多く喋ったあとはいつも虚しさだけが残る。自分の口を制することの出来なかった自分に対する嫌悪感と共に。70代にも達した人は良くも悪くも一家言を持ち、その自分の考えに人の意見など入り込む隙はなく、単なる酒席のつまみにしかならない。特にこのような問題、項目は1人自分の内面と向き合い、深めて行くことではないだろうか?確かに独りよがりになる危険性はあるが、もう残りの人生わずか、ただ自分の内面を深く深く掘り下げていきたい。こんなことを酒席で発言してもむなしいだけ。むなしい、早く家に帰って1人になりたい。改めてそんなことを実感した懇親会の夜だった。
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