2025年5月26日 (月)

後期高齢者

本日をもって後期高齢者となりました。良くここまで無事この世を生きてこれたと感謝です。お袋が33歳でこの世を去りましたので、もうその2倍以上を生きてきました。振り返れば過ぎた日々は皆、幻のようなもの、本当にあったことなのか、ただ自分の頭の中でところどころ記憶しているだけのものか分からなくなっています。この世での生活もあと10年のうちには去る確率が増してきて、だんだんその日が身近に起こる実感が湧いてきます。さてそうなると残されたこの世での日々をどうやって生きれば良いのやら?思い切り美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで、好きな趣味を楽しんで、旅行をして、温泉に入り…。どれも楽しそうですが、まあひと時の快楽、今までもかなりそんなことをして来たがそれで真に満足できるわけではなく、所詮虚しいこと。「この水を飲む者はまた渇く」です。ある人が、人生は長い長い暇つぶしと言ったようですが、確かにある面そのような気もします。それじゃあ、残された日々をまた暇つぶしで費やすか…ともなりますが。

聖書にイエスがもうすぐ磔刑にかかりこの世を去る前にこのような記述があります。「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」と。この世を後少しで去る前になすべき事は、自分の楽しみに生きるのではなく、今まで以上に隣人を愛することだと…。オブラートで包みながらも自己中心に生きることを生まれた時からずっと洗脳されて来た人間には、とてもこのように生きる事は難しいけれど、その日に向かってたとえ僅かでもそのような日々を送りたいと思う、後期高齢者の初日です。

2025年5月17日 (土)

こころ静かに!

一年ぶりにグログを書きます。

今日は1日、雨の予報。先日、さつま芋の植え付けも終わり、春先の仕事も一息。休息の恵みの雨です。この山里はこの時期でも雨が降ると足元が寒く、こたつに入って書いています。先ほどコーヒー豆を挽いてゆっくりとコーヒータイムを楽しみました。ボーっと木々を打つ雨音を聞いて外を眺めていると「静かだなー」とつくづく実感できます。近年、この年寄りにもスマホだ、パソコンだ、と言うものが押し寄せて来て思えばこんなに心静かなひと時は久しぶりのような気がします

現代はスマホ、テレビなどによって情報が飛び交い、その情報を、所詮借り物ではあるが、沢山知っているものが何やら知識人のようなことになっており、体には暇な時間があっても、心の中は情報によって忙しく飛び回っており、本当に静かなひと時、静寂と呼べるようなひと時をなかなか持てなくなっているように思われる。心静かでなければこの宇宙の静寂も、自然の美しさも、そしてそこから受ける静かな喜びも本当には味わえないように思われ反省します。

この世で残されたそう長くない人生を、自然と同化し、この宇宙の静けさの中に憩い、日々を過ごせますようにと祈るひと時です。

2024年5月26日 (日)

誕生日!

74歳の誕生日を迎えました。まず、何よりも神に感謝します。この年までこの地上に私を遣わしてくださり、日々を養い、概ね健康で居られる恵みを本当にありがとうございます。一方でこの世でまだ神の栄光の為に何も出来ていない自分を反省します。聖霊を与えてくださり聖霊と共に過ごす日々は私の魂に平安を与えてくださいます。しかし主は求めておられます。自分の平安と同じように隣人もまた平安を得られるようにと。そしてたとえ僅かでもその手助けをすることで神の栄光を現すことができるようにと。もうこの世を去り天の国へ帰る日がいつ来るか分からない年を迎えました。もうこの世的な意味では求めるものは何も有りません。ただ一つ、神がこの世での命を恵んでいてくださる間に、たとえ僅かでも神の栄光を現すことが出来るように祈ります。

『主よ、私をあなたの平和の道具としてください。

憎しみのあるところには愛を。

いさかいのあるところには許しを。

疑いのあるところには信頼を。

絶望のあるところには希望を。

暗闇には光を、悲しみには歓びをもたらすものとしてください。

聖なる主よ、慰められるよりも慰めることを。

理解されるよりも理解することを。

愛されるよりも愛することを、私が求めるようお導きください。

わたしたちは、与えることにより与えられ、許すことにより許され、

自分を滅することにより、永遠の命をいただくのですから。』
(聖フランチェスコ「平和の祈り」)

2024年4月15日 (月)

田舎暮らし始まる!

今年も春が巡ってきて、4月12日に田舎の山里に戻りました。静岡へ新幹線で行き、そこで息子の車に乗せてもらいやって来ました。静岡からは渋滞の心配も無く2時間半くらいで来れるので気分的に楽である。早速翌13日に息子と渓流釣り、2人で岩魚、アマゴ計10匹を釣り夜の塩焼きで晩酌のアテになりました。渓流はいいよ!綺麗な水の流れる音だけを聴いて静かに釣り糸を垂れる。本当に静かな幸せな時間です。歳を取ってきており渓流釣りもいつまでできる事やら…。怪我等のリスクはあるがこの楽しみは捨てられない。願わくば80歳くらいまで出来れば有難いのだが…、これも神様が決められること、御心にお任せして祈ります。

14日から椎茸の菌打ち、冬の間に地元の友人が原木を切って寝かせておいてくれたので、その原木に菌を打つ。前回3、4年前に打っているがそれがもう2、3年で朽ちてしまうので今年打てば早ければ来年秋、遅くて再来年春くらいには椎茸がで始めるか?それから5年くらいは収穫できるので、まあ生きているかどうかと言うところです。

こうして今年の田舎暮らしが始まりました。何とか大過なく送ることが出来ますように神に祈ります。

2024年1月18日 (木)

美しい自然!

我孫子に戻りもう直ぐ2ヶ月、今日も手賀沼のほとりの遊歩道をウオーキングする。遊歩道の際に生えているススキ越しに手賀沼が広がっている。その向こうに里山が見える。手賀沼には鴨と白鳥が浮かんでいる。冬の澄んだ空気の中ウオーキングする。幸せだな、と思う。自然は美しい!田舎の山里での自然の中の暮らしも、そして我孫子の手賀沼の自然も、全て美しい!全てが神の栄光を表している。残り少ないこの世で末期の目に映るからか?今年は特に手賀沼遊歩道での美しさを感じ、神に感謝する。ありがとう!この美しい自然よ!お前は美しい!

2023年11月18日 (土)

明日帰ります。

今年の山里での一人暮らしも今日まで、明日都会に帰ります。折しも今日は雪が舞って冬の到来を告げています。寒いです。帰る準備もほぼ終わりこたつに入ってこれ書いています。今年は本当に色々あった8ヶ月でした。来年もまたここに元気に来れるかどうかは分かりません。神様だけがご存じで、人にはそれを知る力は与えられていません。この山里での一人暮らしの生活も、もう20年くらいになりました。なーんにも無いこの山里に今では愛着もあり1人静かな平安の中にいます。都会に行けばこの買い物にも30分は車で出て行かなくてはいけない山里とは違い全てが便利にはなりますが、平安はありません。環境に左右される程度の霊の平安では、まだまだ修行不足ですが、なかなか人間煩悩から脱却できず苦しいことです。でも目に見える世界が、例えば自分の老い、景色、様々な情報、環境等、どんなに変わろうと、その時々に心動かされながらも、やがて来るその時「よくやった、良い僕だ、さあ共に喜んでくれ」と言われるように、一点を目指し、求めてこの道を歩き続けて行けたらと思います。主よ、どうかお導きください。さようなら!山里の山々、今年の山里暮らし。そして何よりありがとうございます。神様。神のなさることは皆その時に適って美しいです!

2023年11月13日 (月)

山里にさようなら(2023)

今年の山里での一人暮らしも残すところ僅かとなりました。今年は例年より少し遅く11/19日に出発の予定です。毎年自分の車に野菜を沢山乗せ都会の自宅に向かいましたが、今年はもう73歳、高速道路を6〜7時間運転して行くのは不安になり車はこの山里に置いて帰ることにしました。(そんな考えもありこの春の車購入についても軽自動車を選択しました)

73歳、73歳を迎え1番大きいのは「老い」を感じることでした。もちろんこの何年か毎年老いが進むのを感じて来てはいましたが、今年は一段と老いを感じます。これからは益々、加速度的に老いが進むのだろうと思われますが、その加速度アップの出発点が73歳か?と言う感じです。

特に今年感じた老いについて。①明け方毎日のように脚が攣る。自称魔の3時と名付けましたが毎朝3時頃に脚が攣るようになりました。その都度起きて少し歩き回ったりして筋肉をほぐしまた寝ます。しかし、毎日起こると、まず就寝の時にまた明日の明け方攣るかと不安になる。そしてストレスが溜まる。寝不足にもなり寝覚めが悪い。②血圧が高くなった。今まで血圧は130以下で特に気にもしてなかったが、140台が出るようになった。自ずと脳梗塞等の不安が頭をもたげる。それで医者に行き降圧剤を飲むようになり、毎朝一錠が続いている。③居眠りで自損事故を起こした。居眠りなので自分では分からないまま認識が無いままガードレールに衝突した。毎朝の痙攣やらで寝不足になっていたとは思うが、今までなら運転中あくびとかしても眠ることは無かったが、フッと瞬間に眠りに落ちたと思われる。これは自分で認識ないまま事故っており、運転を続けるのに大変な不安となっている。それもあって高速で帰るのをやめることになった。④物忘れは一段と進む。目的地に着いて何をしに来たのか忘れている。⑤作業中の間違いが増えて、自分で自分を叱っていることが増えた。⑥性欲が殆ど亡くなった。と、まあ枚挙にいとまが無く、実感として「老いたなー」と感じ、こうして人は歳をとり、少しずつ肉体の滅びに向かって進んでいるのだなとり思う。いわゆる死の準備が進んでいると言うことか。まあ事故の事もありこの先あと何年生きられるか?この山里での一人暮らしも後何年出来るだろうかと考えるようになった。

加えて今年は天候不順等あり全ての野菜に亘って出来が悪く、果物も今ひとつだと言われる。キノコもこの秋はほとんど出ず、地元の人の口癖で「毒キノコもありゃせん」と言われる。そんな中猿の被害だけは昨年に増して発生している。春の椎茸、玉ねぎに始まり、枝豆、ナス、トマト、とうもろこしとキリがない。連れて作物を作るのも嫌になってくるくらいであった。

ただ一つ、ゴルフの飛距離が伸びたこと。が良かったことだろうか?みんな同年代の仲間は「飛ばなくなった、昔に比べて本当に飛ばなくなった。」が定番だが、ここ10数年にわたって肩甲骨周り、腰の捻転等のストレッチを続けて来た成果に加え、スウィングも改造に心掛けてクラブを振り切れるようになって来た。コースにティショットの目安になるゼブラの杭がティーグランドから240ydくらいのところにあるのだが、先日もそのゼブラ杭を20〜30yd超えて行くショットが何本かあって、非常に気持ちよかった。まあ煩悩の欲に対する満足感ですがね。

これら全てを合わせた実感として何か将来に不安を感じる73歳である。この先を見通しても良いことより悪い事の方が容易に想像される。話が飛ぶが思わず聖書に出てくる「名声は香油にまさる。 死ぬ日は生まれる日にまさる。」コヘレトの言葉‬ ‭7‬:‭1‬ が頭をよぎる。確かに人は生まれた日から一歩一歩死に向かって進んでいく。その道中もちろん楽しい事もあるが苦しい事、病気等よからぬ事も多い。特に歳を取るに従って病気だの怪我だの悪いことが増えてくる。それも死んでしまえば全てが終わる。どんなに苦しい日々が続いたとしても死ねば全てから解放される。それが最終の救いかも。

そんな今年の山里での一人暮らしでした。

2023年10月28日 (土)

冬支度

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10月も終わりに近づき寒さも増して来ました。晴れ上がった良い天気の日が続き空気も冷たいので冬の準備の干物作りには良い気候です。そこで今日は先日の干し芋に続き干し柿作りです。今年は車をこの山里に置いて帰る予定なので荷物をコンパクトにする必要があります。そこで今回は40個を注文。約2時間で皮むき、ヒモに固定、軒下に吊るす。作業を終了しました。もう少しやろうかと言う気持ちが頭をもたげますが、イヤイヤ今年は車が無いんだぞ、他にもジャガイモ、カボチャなども有るんだぞ、と言い聞かせて一応40個で終了。これから3週間ほど干して冷蔵庫に保管します。冬の間に干し芋と共に昔を偲びつつ美味しく頂きたいと思います。

思えば昔、私が小さかった頃は多くの家で干し柿を作っていましたが、最近は、作る家も随分減りました。みんな外へ出て働き収入を得て食べたければ買って食べる、それ以外にいくらでも美味しいお菓子が手に入る時代になり、田舎では最近は渋柿が沢山なっていても収穫さえしない家が増えました。私のように昔の人にとっては寂しいことですがまあ時代と言うものでしょうか…。

2023年10月23日 (月)

干し芋作り

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山里に冬の足跡が近づいてます。昨日はこの秋初の氷点下の朝でした。お陰様で天気の方はこの季節らしく毎日綺麗な青空です。昨日、玉ねぎの植え付けも終わりました。冬を迎える準備がひと段落、ここで干し芋作りに挑戦です。息子夫婦のところの孫が干し芋が大好きだと言うことで、じじバカを発揮、初の干し芋作りに挑戦です。そもそも、この数年毎年7月に猿の被害に遭って、サルがサツマイモを抜いてしまいます。それで今年からはサツマイモを作らない予定でしたが、孫が好物だと聞いて作らないわけにはいかず作付けしました。

自家製の蒸かした芋をスライスする道具を作り(左写真)、本日試運転となりました。

まず、サツマイモを蒸し器で蒸します。およそ45分で竹串が通るくらいになりました。それを一本ずつ皮を剥きます。バターナイフで削ぐようにすると結構上手く剥けました。

そのスライスした芋を、干し網に入れて乾燥させます。これで3、4日天日干しにします。ちなみに先日、焼き芋の一本を干し芋にしてみましたが美味しくできたので多分大丈夫かと思います。晩秋のひと時を干し芋作りに挑戦した山里一人暮らしのじいじの主婦業の1日です。

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左の写真が干したところです。

2023年10月 8日 (日)

アケビ

いつもの祈りの道のウオーキング。この道は山の中の峠に登り下りる道で、あたりは木が生い茂っていてアケビも沢山なっている。小学生の頃、田舎の家は農家が中心で基本的に貧しい家が多かった。お菓子などは滅多に食べることができず、アケビはそんな生活の中、甘くて美味しい食べ物であった。必然的に獲得競争は厳しく、まだ完熟しないうちでも確保して籾殻の中に入れておく。するとやがて熟した状態になり割って食べると美味しかった。今この道を歩きながら見ると紫色に色づいて皮が割れ中に白い身がある、もっと熟すと甘味で半透明のようになって来て甘みが増す、アケビが沢山ある。が、誰も取る人はいない。私は懐かしく時々1つ取って口にするが、種がいっぱいあり食べるのに面倒である。この恵まれた時代、こんな物を必死に確保しようとする子供はいない。むしろ食べられるものかも知らないかもしれない。と、道の横の落ち葉が積もり日差しが差し込む地にアケビの殻が沢山落ちている。なんだろうと思ってみる。そうだ!きっと何頭かのサルがアケビをとって来てここに座って食べたのだろう。と思う。サルには野菜をやられてばかりで敵ではあるが、自分に害のないところでのこの行動は、むしろ微笑ましい。サルはタネなど出さずに丸ごと食べてしまう。昔の私にとって貴重なお菓子がわりが、今は猿の🐒果物になっているんだ。と、思い、楽しいウオーキングとなりました。