人は成熟するに従って若くなる。
久し振りにヘルマンヘッセの掲題のエッセイ、詩の本を読んでみた。ヘッセは一時その作品に同感して多くの作品を読んだ作家である。彼も晩年はスイスの山奥の湖畔で1人家庭菜園やら水彩画を描いたり散歩したり、自然の中での生活を何より好み、その意味では私の今の生活もその影響を受けたものとも言える。
人は成熟するに従って、多くのものを手放し、手放した分だけ身も心も軽くなりその分若返ると言うことか?地位も名誉も性欲も財産も仕事も健康も…etc、年を取るにつれ手放していく。するとその分心は軽くなり若々しくなって行く、悪く言えば単純になって行くと言うこと。人は毎日多くのことに心を煩わせながらこの世を生きているが、本当に大事なものはわずかなものであり、そのわずかなものに近づいて行く。そこはいわゆる「平安」の世界。いわゆるパウロの言う、わたしたちの「外なる人」は日々衰えて行くにしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされて行く。と言う言葉に通じるものか。
考えてみれば今年は色々のことがあった。まずは5月の事故、居眠りで車をガードレールにぶつけて自分としてはなんでこんな事がとショックを受けた、おかげで頭のMRI、脳波検査を受けてみたが異常はなく、まあ老化が原因と。この時から耳の聞こえが悪くなったが耳鼻科の医者は老化でしょうと。4月にはサルが椎茸、玉ねぎを食べてしまった。家の前の庭で栽培していた枝豆を猿が来て座って食べている。ジャガイモが大雨で例年の1/3も収穫できなかった。カボチャも夕顔も何故か雌花が少なく従って果実も例年の1/2程度。夏は例年になく暑い。等々例年には無いことが沢山起こりその度に心をざわつかせたが、今ではそれらの日々起こる出来事を俯瞰的に黙ってみていられるようになった。歳をとるとはまた多くのものを諦めて黙って受け入れると言うことでもあるか。
今年の8ヶ月が終わったところで感じるのは「歳をとったなあ」と言うこと。そして色々なことに購ってみても仕方ないよ、心静かに受け入れましょう。と悟った(?)ことです。
コメント