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2023年1月

2023年1月16日 (月)

ポツンと一軒家

テレビでポツンと一軒家と言う番組を見た。大分の山間部の茅葺の築155年の古民家をリノベーションして暮らす50代の夫婦の生活をレポートしていた。素晴らしい夫婦で旦那さんは3dプリンターで家を作る会社を経営していて、この工法だと随分安く家が建てられ、多くの人の家を取得する負担を軽減できるらしい。奥さんは土日和風レストランを経営していて、以前海外生活していた時和風レストランを経営、パティシエのスキルもあるらしく、1日三組限定のお客さんに素晴らしい和食を提供していた。見ていた感想は、二人ともやりがいのある仕事を持ち、そして仲の良い素晴らしい夫婦で、人生にやりがいを持ち、なんとも素晴らしい、多くの人が自分にはそんなスキルはなく無理だとしながらも憧れるような生活だった。

私も山奥に一人生活しているが、都会に住む女房とも春から秋は別居生活、生活の姿は、百姓、ウオーキング、たまの渓流釣りにゴルフ、それに読書と水彩画。それほど地域に溶け込んでいるわけでもなく、1週間、誰とも会話をしないなんてこともざらにある、独りぼっちと言える生活だ。まあ最近流行ってきている「二拠点生活」とも言えるが取り立てて羨むほどのことは何もない。むしろ女房と別居生活をしてまでやることか?おそらく近所の人も変わった爺さんと言うほどに見ているだろう。

なんでこんな生活をしているってかい?そうなんだよ。今になってはあまり意味のない生活になってしまったけど、小さい時から求めていた真理というものに辿り着きたくて山奥での1人、在家でありながら少しばかりの修行を通して道を求めてみた、その為に選んだ生活だった。そして真理に辿り着いた今、表面上どんな生活をしているかは問題で無くなってしまった。それは魂の問題であって表面の姿ではないのだから。したがって私の田舎暮らしは、前述の夫婦のように世の人に誇るべき何もない田舎暮らしです。でも、私には唯一、心の中の宝として真理への信仰がある。表向きに見るべきものは何もないが、心にはかけがえのない宝を持つ。そしてこの宝は誰でも、財産によらず、能力によらず、この世の地位によらず…etc、誰でも持つことのできる宝物だ。それで素晴らしいじゃないか、と思う。そんな思いに至ったポツンと一軒家だった。

2023年1月14日 (土)

カワセミ

今日、いつものように手賀沼のほとりのウオーキングロードを歩いて行くと、湖の上に張り出した枝にカワセミが一羽とまっているのを見つけました。カワセミはクチバシが長く青い羽根を持った綺麗な鳥です。その美しさから、漢字では「翡翠」と書くらしい。青い宝石💎などとも、「渓流の宝石💎などとも言われるらしい。手賀沼の遊歩道にはカメラ趣味の人がいて、すごい望遠レンズを装備したカメラを持ってこのカワセミを狙っている人も多い。人は知能を持ち、自我を持つ。美しいものに惹かれる。それ故美しいカワセミに惹かれる。仏教では愛は愛着、心を囚われるので否定的に取られる。人間故に難しいことを考え、また囚われる。

カワセミはそんな人間の気持ちには我関せず。その木に止まっていたい時にただ止まっている。そして湖の中の小魚でも探しているのか……。そして飛び立って行く。それ以外に手賀沼のほとりには、沢山の雀やらムクドリやら百舌鳥やら、そして白鳥やら沢山の鳥たちがただそこに居る。造り主が造ったままにそこに「今」を暮らしている。鳥には難しい自我などというものは無いのだろう。鳥は良いな〜。こんなことを考える人間は面倒な存在だな〜。などと考えながら遊歩道を行く。

2023年1月 2日 (月)

第1日目

2023年の第1日が終わり第2日目を迎えた。第1日目何をしただろう。朝起きて朝食に雑煮をいただき、1時間ほど散歩、ニューイヤーズ駅伝を少しみて新年会、近くに住む娘一家と新年会兼昼食、お節を頂き、ビール、日本酒、酔っ払って3時ごろから炬燵でうたた寝、夜起きて夕食、またビールを飲み、おせちの残りをいただく、テレビを見て風呂に入り、昼間寝たのでいつもの時間には寝られない。欲望の世紀、資本主義をNHK、BSで2時間ほどみて12時就寝。布団に入り、こんなことを考える。これで2023の第1日が終わり、1日死に近づいた。普段考えないし、いつかはわかっていないが死は決まっていて1日が終われば必ず1日死に近づく。そして人生も晩年を迎え間違いなくその残りも少なくなっていると言うのに、今日の1日はどうだったんだと。だからと言ってどうすれば、どのように生活すれば良い1日目を過ごせるのか?と言って回答も無い。コヘレトは言う、突き詰めて考えれば全ては空だと。どうせ全てが空なら笑ってこの世を楽しべば良いじゃないか?と言って刹那主義、快楽主義に走っても、過ぎてみれば又虚しいのは分かっている。まあ後いく日か過ぎれば又いつもの日常に戻りこんなことを考えて暮らすこともなくなることだし…。そんなことを考えているうちにいつしか眠りに落ちたzzz…。

ヨハネはこう書いている。十字架にかかりこの世の最後を迎えるイエスについて「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」と。ヨハネ13:1。つまりこの世での最後を迎えた時、イエスのしたことは、弟子たちを愛することだったと。前述の答えも見つからないので参考まで…。