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2022年12月

2022年12月31日 (土)

今年もあと少しで終わります…。

紅白をバックグランドミュージックに、夕飯の時のワインで少し酔いの残った頭でボーっとしています。このボーっとしているのが良いですね。今年もあと2時間ほどで終わります。昼食に年越し蕎麦をいただき、夕飯にふるさと納税でいただいた蟹すきにワインをいただき幸いな今を過ごしています。今年は色々なことがありました。娘一家、息子一家がコロナに感染。息子が腕の骨を折る。義妹が天に召される。本当に予想しないことが起こった一年でした。でもこうして今年最後の日元気にそして三度の食事にも恵まれ年が変わるのをカウントダウンできることに感謝です。あと何度年の瀬を、新年を迎えられるか分かりませんが、この世で起こること、目に映るこの世の出来事に一喜一憂することなく、心穏やかに、時を過ごしていければと思います。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」これが主が私に望まれることです。感謝のうちに、この世に送られてから72回目の年越しを過ごしています。全ての人の心に、シャローム!平安がありますように!全ての人々が良い年を迎えることができますように!全ての兄弟姉妹の心に主の恵みが与えられますように!

2022最後の日(大晦日)

2022最後の日を迎えました。何より今日という日を生かしていただいている事に感謝します。もう50年以上昔、高校を卒業して東京へ出てくる日、本家へ挨拶にいったとき、本家のお婆さまからこんな言葉を頂きました。「今、生きている事に感謝するなら、世の中に大変なことなど何も無い。」そう思い、考え、日々を頑張れと。高校の頃の雑記帳にそう書いてあります。ともすれば「今、生きている事」に感謝を忘れる自分がいます。2022最後の日の今日、生きています。72歳になって尚生きています。感謝していますか?その感謝を生かしてくださっている方にお返ししてますか?人生の晩年に入り、尚五体満足、概ね健康で、ウオーキングをし、時々ゴルフもできる事に本当に感謝する気持ちを強く感じます。それは裏腹に、もういつ天に呼ばれても、あるいは呼ばれる日が近づいたことを感じているからかも知れません。パウロは本当は天の国にいることの方が望ましい、がこの世に入れば生かしてくださっている方のお役に立てると言ってます。私はこの世にいてもまだほとんど恩返しも出来ず、相変わらず自分の為に生きる日々です。神様、どうぞ私を御用の為に用いてください。と祈る年の瀬です。

追伸:生きていることに感謝、とはどこかにまだ「御利益」的な匂いがする。そう、生きていても、死んでいても、御心に感謝!全ては御心のままにと喜んで全てを受け入れられるように。完全なる離脱。

2022年12月29日 (木)

新年の前に

今年も年の瀬を迎えた。毎日が日曜日の年金生活者にとって年末年始になっても休日になると言う楽しみは無い。楽しみは年末年始には年一度遠方に住む息子夫婦と孫が帰省すると言うことだ。孫は1歳2カ月になりチョコチョコ歩き回るようになり可愛さの盛りだ。ところが26日に突然連絡が入りコロナにかかったと。嫁が熱があるとのこと。孫はこの時点では元気でしたが28日に熱が出る。息子は陽性だが無症状。今度は孫の心配、こうなった時医者にかかることもハードルが高く医者にかかれない。市とかに相談しても結局たらい回し状態、結局自分達で電話しまくり、ネットで調べて医者探し、各個人で自力で頑張るしかない。世はほぼコロナ容認の状況になってきたがいざ感染した時にはただ耐えるしかない状況に変わりはない…。3年経ってもある意味無力なままである。

一方、こちらも楽しみにしていたが故に来れないとなってガッカリ、😮‍💨、正月への希望が縮んだ感じ。ふるさと納税も利用し、カニ、フグ、数の子、日本酒、もつ鍋やら準備したのに、今度はこれをどう消費するか?と言う悩みになってしまった。

そんな訳で人生の暮れを迎えた今、年末年始に遠隔に住み普段会えない息子夫婦、孫に会えると言う人並みの幸せも今年は奪われました。神様は人間に本当に沢山の能力を与えて来れました。その力を使って人間は進歩を続け豊かさを築いて来ました。でも神様は人間に、明日何が起こるのか?未来を知る力だけは与えませんでした。そんな事に直面した時人は自分の無力さを知り、「祈る」ことの大事さを知ります。

そんな訳で、心身共にポッカリと穴が空いてしまった年末となりました。

2022年12月23日 (金)

病院巡り!

今日、甲状腺エコーの検査が終了、我孫子に戻ってからの病院巡りが一通り終了しました。インフルワクチン接種、肺の定期検査、検査結果聴取、コロナワクチン接種、歯医者、人間ドック、そして本日の甲状腺、頸動脈エコー、とこの1ヶ月強の間にまとめて病院がよい。年を取りあちこちに検査が必要です。野菜を育てていて思います。種を蒔くに時があり、成長するに時があり、収穫するに時がある。そしてやがて傷んでいく。それが自然の摂理。人間の一生も又同じ。生まれるに時があり、成長するに時があり、老いるに時があり、死ぬるに時がある。それら全てが自然の流れであり、「神のなさることはみなその時にかなって美しい!」心静かにその時々を御心と受け入れて平安の中に「在る」と言うものでありたいと病院巡りをしながら思う!

2022年12月19日 (月)

人生の目的

人生の暮れにさしかかり思う。私の人生の目的は何だろう。私は何のためにどこから来て何処へ行くのだろう?ゴーギャンの絵のタイトルみたいだね。こんなことが頭に浮かびました。人生の晩年になって思います。その答えを知りました。私の人生の目的は「真理を求める旅を続ける」ことでした。現代日本の多くの人にとって恐らく「真理」などというものはほとんど価値を持たず、それよりも目に映ること、食べること、着るもの、仕事、勉強、携帯電話…etc、etc…の方を求め続けるでしょう。言葉は知っていてもほとんど無関心の言葉、普段は全く頭に浮かびもしない言葉かも知れません。「ピラトは言った。真理とは何かね?」と言うところでしょう。ついでに茶化して言えば「それはなんだい?腹の足しになるのかい?金になるのかい?」と言うところでしょうか。高校3年の頃こんな歌詞の歌がありました。「真理、人生、ああ青春」。この頃書いていた雑記帳の裏表紙の真ん中に同じ言葉が書いてありました。高校時代もやはり真理を求めていたようです

小学3年までに父も母も失った私が世の「無常」を知り、その時から探し求め社会人になっても尚、仕事より大事に求め続けたもの、退職しても尚今日まで探し求めているもの、その答えは「真理」でした。ちょっとかっこよく言えば「求道者」と言えるかも知れません。世の大多数の人にとって関心も無く、真剣に考えることもないと思われる真理こそ私が何物にも代え難いものとして求め続けるものです。真珠の隠されている畑を見つけた人は全ての財産を売ってその畑を買い求めないだろうか…と書かれています。また真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってかみついてくるだろう。とも書かれています。

人生は皮肉です。家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった、とあります。不要な物として捨てた隅石こそが宝物となるからです。道元も貧なるが道に近し、と言っています。皆が避けたい貧乏、その貧である方が道には近いと。この世にあって人は幸せになりたいと願います。それで勉強します。あるいはスポーツに打ち込みます。良い大学へ入ろうとし良い会社に入ろうと願い、資産家になりたい、良い人と結婚したい、大きな家に住みたい…etc 。と頑張ります。でもそこに真理を掴みたいなどというものはありません。私にとって真理こそ何物にも替えがちものですが…。人生では一銭にもならず、形もなく、役にも立たない無駄なもの、それが真珠であり実は案外一番大事なものなのかも知れません。その代用品で喜び、次々と対象物を変え続け喜ぶのがこの世であり、経済発展の原動力であり、普通の人生なのかも知れません。なぜなら「その水を飲む者はまた渇く」からであり、渇いた人は又水を求めます。次々求めないと渇きます。人は二人の主人に仕えることはできない。と言います。一人を重んじれば一人は軽んじられるから…。世に使える人は真理には支仕えられず、真理に仕える人は世には仕えられない。それ故真理を求める人は世の人からは異邦人となります。

そんなことで私は山里に引っ込みました。あるのは山、川、田畑、それに猿、鹿などです。そこでは時間が沢山あり作務(農作業など)、食事、睡眠を除けばあとは全て自由時間、読書もよし、絵を描くのもよし、座禅もよし、瞑想🧘‍♂️もよし…です。

そして真理に出会いました。長くなりそうなので続きはまた…。

2022年12月16日 (金)

ゴルフスクール(2)

本日もゴルフスクール、暇な老人には大変ありがたいスクールです。しかし、頭の中は今日もごちゃごちゃ、パニック状態です。ヘッドスピード、飛距離は確実に伸びていますがスイングの指導は次々と今までの想定外、指摘されたところに注意がいくとそこに力が入りスイングがバラバラになってしまう。しかし基本的に先生にただ無心に従うしか無い。まあ、まだ始まったばかり。山里に帰るにはまだ3、4ヶ月ある。これからこれからと自分を励ます。まあ、いつ死ぬか分からない爺さんが自分の欲に負けて、どこまで頑張ることか…。笑っちゃうね!

聖書でも、人からの誉れは求めない。とありますが…。トホホ…。

ゴルフスクール(70の手習)

冬、我孫子に戻り、例年はこちらでの友人と月一ゴルフを楽しむのですが、その友人が体調不良でゴルフからリタイヤ、コースに出る機会が無くなりました。それで打ちっ放しの練習場通いを始めたのですが、ふと、もう40年やってもこのレベル、この冬はコースにも行かないのだから、この冬の間、ゴルフスクールに通ったらどうか?という考えが浮かびました。早速近隣のゴルフスクールをチェック、良いところが見つかったので入学、70の手習の始まりです。

行って見ると、これでも自分なりに40年、研究し試行錯誤しながら腕を磨いてきたつもりでしたが、学ぶことは今までのスイングとはまるっきり違っていて戸惑うばかり。頭がこんがらかります。少しばかり先生の教えにも疑問が湧き余計におかしくなります。いわゆる自我が邪魔をするというやつですか。聖書でも言っています。この幼児のように私の教えを受け入れないものは…云々と。それで自分を捨て、ただ先生の教えに従うことにしました。よくしたもので、何回か通ううちに少しずつ良いあたりが出るようになってきます。教えていただいたことがヒントになって更に自分で研究、また先生にぶつけてまた練習。ヘッドスピードが39前後だったものが40台に上がりました。ドライバーの飛距離も入学当初180〜190くらいであったものが200ydも出るようになりました。ガチガチだった金縛りから解かれた感じです。そうです自分の頼りない思いによって縛られていた自分が解放される気分です。夢が広がります。春になって山里に戻った時にはドライバーで200yd以上の距離が出せるかもしれない。そうするとスコアもアップするかなと…。また煩悩の芽生えです(笑)。1分後何が興るかも知れない身ですが、どうか主が祝福してくださり、また春になって自然の中でゴルフをすることが出来ますように!と祈ります。

2022年12月13日 (火)

我孫子も良い所🙂

ブログもすっかりご無沙汰していました。書くことが少しマンネリ化していて面倒だった事とゴルフの練習に忙しかったことかな?我孫子に戻り1ヶ月になります。天気が良い時は毎日午前中はウオーキング、午後はゴルフスクールに通い一からスイングの作り直しに励んでいます。加えて山の生活で出来ていなかった病院がよいを集中的にやっています。白内障の術後チェックで眼科、気管支拡張症の一年チェック、歯医者、さらに明日はオミクロンワクチン、そして人間ドックがあります。年を取りあちこち老朽化、しかたない事です。加えてマイナンバーカード作成。

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そんな日々ですが、1番の楽しみは手賀沼の辺りのウオーキングロードを歩く事です。手賀沼を眺め、里山を眺め、鳥たちを眺め歩く事です。昔から行ってきたことですが今は更にそれらの自然の中を歩き、公園でストレッチ、身も心も軽くなった気がして、このような時を与えてくれた神に感謝します。山里はもちろん素晴らしい所ですが、我孫子もいいところだなあ、と改めて感じています。この自然の中に歩ける幸せを強く感じながら感謝のウオーキングが続きます。

でも願わくば目に見える世に心を騒がせることなく我が内なる聖霊と共にある普遍の平安のうちに居られる者になりたいものです。