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2022年1月

2022年1月30日 (日)

悲しい知らせ!

昨日、高校の同級生の女性が亡くなった、と言う悲しい知らせが届きました。癌で闘病を続けていましたが天の国へ旅立ちました。人は誰でも死ぬし、その死時も、死に方も知ることは出来ません。悲しいことです。人はこの世に生まれた時から一歩一歩死に向かって歩いているとも言えることです。70歳を過ぎ同級生が亡くなるのもやむを得ないことですし、これからはその頻度が増し、80、90歳へとそのスピードを増し、神の定めた計画に従って順番にこの世を去っていきます。もっとも私には「この世は一時派遣された異国で、母国は天にある。」と教えられているので、むしろ母国に帰るのは幸せなことかも知れませんが…。

こんな悲報が届いた日は、やはり人の生とは何かと考えてしまいます。敦盛で人生50年…夢幻の如し、と言ってますが、まさにその通りかも知れません。どんだけ財を蓄えても、どんなに名誉を得ても、死んでしまえばそれもまた夢の如し。コヘレトの言葉の中でも「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。全ては空であると。賢者も愚者も永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、、全て忘れられてしまう。」と。

残り少ない人生をどう生きるのか考えても考えても分からない!ただ、コヘレトの言葉の最後の箇所でこう言われている。「すべてに耳を傾けて得た結論。神をおそれ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべて。」また「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、この世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」ヨハネ13:1と、書かれている。

どうかその日に「よくやった良い僕だ。さあ、ともに喜んでくれ。」と言われることのできる日々を送れるようにお導きください。

2022年1月18日 (火)

高齢者講習!

今日は高齢者講習で何十年ぶりかの自動車教習所へ行ってきました。高齢者の事故の増加に伴い、高齢者が免許を更新するにはいろいろなハードルが設けられました。75歳未満の人は座学とコースでの自動車運転が必要となりました。2時間強で講習は終わりました。コースでの運転は緊張しましたがまあどうと言うことも無かったかなと。これが75歳になるとまず認知症検査を行い、その結果によってその後講習内容が変わってくるとのこと。いやはや年寄りには面倒な制度が出来ました。都会暮らしならもう車を手放し、必要な時にはタクシーを使った方が気は楽だしコスト的にも安上がりだと思いますが、何しろ田舎暮らしを兼ねた今の生活では田舎にいるときには車が必須で免許返納も出来ず困ったことです。まあ次回更新は75歳に成るのでぼちぼち生活設計を検討していくか?と言うところです。😄。最も75歳になったとき健康で暮らしていられるか否か、誰にも未来のことは分かりませんが…。

2022年1月16日 (日)

鳥はいいなぁ!

今朝は風も弱く快晴の良い天気。白内障手術10日経過で通常の運動が解禁となりました。早速久しぶりのウオーキング、いつものルートを早足で歩きます。折り返し地点の公園でストレッチ、手賀沼を飛ぶ鳥の群れを🦆みました。ふと「鳥はいいなぁ!」と心に浮かびました。皆んなで仲良く何も考えずに、ただ飛んで行く。(隊列は何か空気抵抗等を考えているようですが、自然に身についた者で別に皆で協議している訳では無いか?)ただただ神が作られたままにそこに居て、そして空を飛び餌を食べ1日を終えていく。人間は、ああでもない、こうでもないと考え、何か心配事があれば、思い悩む。この知性によって人間は鳥よりは優れたものとされながら、一方で重い悩みも多い。おりしもオミクロンの感染が急拡大、心配だ!。鳥だって仲間の一人が突然撃たれて死んでしまうかもしれない。病気に罹るかもしれない。でも、きっとそんな明日の心配より今を無心に飛んでいる。「鳥はいいなぁ!」と、なぜか手賀沼の上を、晴れた青空の中を飛ぶ鳥の群れを見て思った。

2022年1月13日 (木)

とまれ!おまえは美しい!(ファウスト:ゲーテ)

世界は光に満ちている!

白内障の手術を受けて約一週間が過ぎました。雪が降ったり、雨が降ったり、風が強かったりで、この間、あまりウオーキングにも行けませんでした。また術後5日くらいは静かにしているようにも言われてました。今日は晴れ上がり比較的風も穏やかでしたので久しぶりにチョット長めの散歩に出かけました。

世界は光に満ち、輝いていました。そう、大袈裟に言えば、ああ、世界はこんなにも美しいのだ!という感じ。思わずゲーテ、ファウストの一節「とまれ、おまえは美しい!」と言う言葉が脳裏を横切ります。畑の野菜も、周りの木々も、遠くの木々も、そして葉を落とした紅葉樹の細い枝も、みんな、みんな、美しく映ります。白内障で少し白く濁った水晶体が綺麗になり薄い雲が晴れたように美しく世界が映ります。世界は術前と何も変わっていない。でも自分の見え方が変わるとこんなにも世界が美しく見える。手術を受けなければこの先死ぬまでみない世界が見えた。と大袈裟に言える。

神は、こんなにも美しく世界を作り、その栄光を現しておられる。一方、年を取ったら目も少しずつ衰え少しずつその世界の輝きが見えなくなる。それが自然の摂理だ、もう、そんなにハッキリと見えなくてもいいんだ!そうやって老いていくのだとも言えるか。

ともあれ、こころ踊る散歩でした。感謝!

2022年1月10日 (月)

あなたがたのうちだれが…。

思い悩むな!

「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。」ルカ12:25、26

そうなんです。人は随分学び、沢山の知識を得、多くの人は医者に掛かるくらいのお金は持っている。結構賢くなったと思っている。そして多くのことができる、可能だと暗黙のうちに思っている。しかし、よく考えてみると人は大事なことが何もわかっていない。例えば、今自分の体の中で起こっていること、何もはっきりとは知らない。どんふうに血液が作られ、身体中を巡っていること、巡りながら何をしているか?もしかしたら、その血管の中に一部の狭いところがありそこで血液が詰まっているかもしれないこと?そう、厳密な意味では体の中で行われているさまざまな事を何も分かっていない。先日、大阪のビル火災で亡くなった方のご冥福を祈りながら、誰が朝家を出る時、もうこの家に戻ることはないと知っていただろうか?そう!人は実は何も分かっていないのではないだろうか?それなのにああだこうだと思い悩む。思い悩むのは自分の頭の中で勝手な推測に振り回されて、バーチャルな世界で思考が飛び回っているだけで、現実に起こることとはほとんど異なる事を思い悩んでいる。いわゆる、取り越し苦労ということになる。思い悩んだからと言って未来のことを自分で変えることはできない!ここで、こう思うしかなくなる。そう神様の計画は誰にも分からない。それ故、未来のことを思い悩んでみても無力であると。人に出来ることは、無力な自分を知り、神の計画は神にお任せし、ただ、慈しんでください。憐れみをください。祝福してお恵みください。と祈るだけである。その上で尚、御心に従順することである。

2022年1月 7日 (金)

白内障手術!

昨日、右目の白内障手術を行いました。昨年、3月に左目手術をしており今回は右目の手術です。70歳を過ぎ、体はあちこち老朽化、目の水晶体も老朽化して白濁してきておりその取り替えです。昨年の手術を受けた後は左目の視力は1、2くらいに回復しこのままでも生活には支障ないかと思いましたが、右目の白内障の進行を遅らせる目薬をずっと続けるのも大変かと、また、右目片方で見た時の世界は輪郭が少しぼやけて、左目の映りにはだいぶ劣ることもあり、今回右目の手術を受けました。手術は7〜8分で無事終わりホッとしましたが、やはり施術の前は色々な思いが頭を巡り不安もありました。しかし自分でいくら思い悩んでもどうにかなるものでもなく、すべてを御心のままにと御手に委ね、そして祝福を祈りました。そして今朝病院で眼帯を外すと、前回左目を受けた後ほどの感激ではありませんが世界が明るくはっきりと目に入りました。嬉しい限りです。神に感謝します。今日からは時々通院しながら目薬による術後フォローに入ります。まだまだ注意が1ヶ月は必要ですが、何はともあれ手術の成功を神と医者の先生、看護婦さんに感謝します。

このような経験を通じ自分が年老いてきている事を実感し、日々の恵みに心から感謝しながら暮らしたいと山の暮れに思います。

2022年1月 1日 (土)

明けましておめでとうございます。

2022年の最初の朝を迎えました。「光あれ。」こうして光があった。2022年も又光の中を歩む年でありますように!

朝起きてまず最初に聖書の年間通読の1日目を学ばせていただきました。創世記1、2章です。ここから始め毎朝その日に割り当てられた聖書箇所を学び、一年かけて聖書を通読します。これが毎朝の学びであり、今年の第一歩を踏み出しました。主が祝福してくださり毎朝毎朝聖霊の臨在の中で光の中を歩くことが出来ますように。主の栄光が世よ限りなくありますように!御名が崇められますように。御国が来ますように。御心の天になるごとく地にもなりますように。例えわずかでもこの世にあって主の栄光を現すことが出来ますように。聖霊様の導きの中を歩くことができますように!

全ての兄弟姉妹の心に私たちの父である神と主イエスキリストからの恵みと平和が豊かに与えられますように。アーメン。