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2021年1月 8日 (金)

ある日の雑記帳から。

コロナで緊急事態宣言が出され、ステイホーム中、暇な時間をiPad で遊んでいたら昔書いたこんな記事が出てきました。ちょっとこ難しいですが、御覧あれ!しかし、肉の人はここに書かれたことではなく、ガースーに従って幸いを得よ!(笑)

神の慰めの書:p 118

聖アウグスチヌスは言う「主よ私はあなたを失うことを欲しなかった(あなたを欲した)、しかし、あなたと共に同時に被造物をも所有することを望んだのである(神の他に更にこの世的喜びをも求めた)。それは私の貪欲からであり、それ故にこそ私はあなたを失ったのである(神はご自分と共に肉の世のものを共存させ得ない)。あなたは人が真理そのものであるあなたと一緒に、同時に、虚偽なる被造物を所有することを許さない。と。

また「神のみを持って満ち足りない人は、貪欲に過ぎる」と言っている。

人は肉と霊からなる。霊にあって神と共にあることで全てが充足された平安の中にあり、それに満足せず肉の喜びをも求める欲、これは全て貪欲である。あとは全て御心とただ静かに受け入れることである。

それ故に人はこう言わなくてはならない「主よ、我が慰めなる神よ、もしあなたが私に、あなた以外の何ものかをお与えになるのでしたら、別のあなたをお与え下さい。なぜなら、私はあなた以外のいかなるものも欲しませんから」と。あなたが共にいてくださることが全てです。

神と共にあることがすべて。

海面が嵐によって荒れ狂おうと、なぎのように静かであろうと、深海が何ら影響を受けずにただ静かにそこにあるように、私の霊も目に見える世界がどうであれそれに左右されず、御心のままにと静かに受け入れ、神と共に平安のうちにあれ!

真に完全な人は、己自身に死、己自身の像を離脱し、神の意志の中へと形成される。これこそがその人の全浄福たるものである。このような人は、己自身並びにこの世の全てについては何の関知するところもなくただ神のみについて関知するのであり、神の意志以外の何事も知らず、また敢えて知ろうともしない。これが全身全霊で神を愛すると言うことでもある。

神と共に在り、ただ神にのみ従え!

「一切の被造物から離脱し、一切の被造物に(対する我が思いに囚われがなく、執着がなく、従って)貧しく乏しく無であることは、魂を高く神の中にまで運ぶのである。」しかし、このようなことは俗世に住む人間には不可能なことであり、余り気負わず、しかし神と共にあることを祈り、それ故に神がこの世のものから出来るだけ遠ざけてくださることを祈りながら生きることであるか?持ってこの世の全ての被造物に執着の薄い、貧しい者に造り替えていただくことである。それが魂の聖化である。

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