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2020年7月13日 (月)

この世に死んでいて、それでも生きているって?

この世に生きている限り、人はどこまでいっても心から幸せにはなれない。幸せだと思うことはある。しかしそれも一時のこと。いや、そう思っているのはお前の場合で、多くの人はこの世に生きていて心から幸せだと思っているかもしれない。そうなんだ!でもわたしには心からの幸せとその永続性が無く、それゆえ色褪せることのないそんな幸せが欲しい、渇く!。この水を飲むものはまた渇く、それでも飲んだ時は程々に満足していた。でも今はそんな水は要らない!むしろ飲みたくない。一時の潤いどころか今では拒否している。この世はその様な水に溢れている、CMを見れば皆それを唄っている。そして多くの人がそれを求めている様に見える。金と時間があればより多くその水を飲める。また、出来るだけ間を空けずに飲める。皆、その幸せを求めて(?)一生懸命働いている。それが今の世の中の仕組み?、その水を飲むのが幸せなんだよと言っている。さああなたも飲みませんか?美味しいですよ、楽しいですよ、それが幸せでしょう?と。そうするとそれを拒否してるわたしはこの世には死んでいる?現に今生きているけどでも死んでいる?そう、この世には死んでいるのにでも生きているんです。困った!

ではそういった水を飲むのを拒否して他に何か幸せがあるの?そう言う幸せを求めるために使う時間も要らないと時間が余って一層暇でしょう?その暇に任せて何をどうするの?賢治が銀河鉄道の夜の中で言ってます。「でも本当の幸せってどこにあるのだろう。本当の幸せを求めてどこまでも行こうね。」と。そう、わたしの残り少ないこの世での生を使い、ただ一つ目指すのは、この世にあっては求めても求めても遥かに遠く、でも実は本当に身近に、心の内にある「本当の幸せ」、聖書の中でイエスが言っている「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4:13、14、その水を飲んでただ一つ精神の高みへと続く道を歩くこと。それが、私がこの世に生を受けた意味であり神が与えてくださった人生の目的です。なんと!暇な山里の一人暮らしの老人には素晴らしい夢ではありませんか😂。

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