歎異抄に学ぶ!
今年のゴールデンウィークは家で過ごしましょう。と言うことで皆さん家でお過ごしでしょうか?家で静かに読書も楽しく、瞑想もまた楽し。こんな時普段触れることもない?歎異抄なぞ如何ですか?
「いずれの行も及び難き身なればとても地獄は一定すみかぞかし」
親鸞は比叡山で20年に及ぶ修行を続けたが、結局自分は煩悩具足の身でありどんな修業でもそこから抜け出す事はできないと心底分かっていた。ある意味絶望的に分かっていた。自分にとっての自力の限界を知り比叡山を降りた。いずれの行も及び難い自分であると。それ故に私は地獄しか行けないと、その様な者であると。それは所謂歎異抄で言う「悪人」であり、パウロの言うローマ7章、自分は罪人でどうにもできない惨めな人間だ、に通じるものでしょう。そしてその様な悪人を救ってくれるのが阿弥陀仏であると。そしてその救いを受けるには、「ただ信心を要とすと知るべし」と。絶対条件は阿弥陀仏の本願を信じること。それだけであると。親鸞の心の軌跡が痛いほど分かります。私もまた親鸞ほどでは無いにしても自分も煩悩具足の人間でありそこから自分の行いでは抜け出せない、即ち救われない人間であると強く認識する者だから。それ故、誰かこんな私でも救っていただける方はいないかと、尋ね歩き、阿弥陀仏に、或いはキリストに全てを委ねて行く。阿弥陀仏に、キリストに救っていただく。ただそれだけである。この世での晩年をそんな他力本願の私です。
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