わたしの正しい者は…
わたしの正しい者は信仰によって生きる。生きているとはなんでしょう?正しく生きるとはなんでしょう?私たちに生きている意味などあるのでしょうか?人はこの世に自分の計り知れないところからやって来ます。この世に生を受け、色々なこの世的知識、常識などを叩き込まれながら段々大きくなります。そして自我に目覚めた頃にはこの世の価値にかなり染まっています。そして社会に出てすっかりこの世に染まります。自分の価値観、人生観などと言っても所詮この世の常識、本などを通して身につけた自分にとって正しいと思う価値観に染まったものであり、実際のところ本当に正しいのかさえ分かっていません。そんな自分と言いながら実は自分では無いものに振り回されて1日1日を過ごしていきます。そして歳をとりやがてこの世を去ります。一生はかように虚しいものでは有りませんか?。表面的にはこのような生と同じように見えてまったく違う人生、それは信仰によって生きているか?です。ここで言う信仰とは宗教的なものに限りません。いわゆる絶対に譲ることのない信念を持っているか否かによるという事です。例えば西郷隆盛は「敬天人愛」を自分の信念としていました。賢治は「本当の幸せ」を求め続けて生きるのが信念だった。大臣になろうと、教授になろうと社長になろうとスターになろうと漁師になろうと百姓になろうとそれらは全て表面的なものであり、何であってもよい事であり大した違いもない。その人の表面上の問題ではなくその人が信仰を(信念を)持ってその日々の暮らしをしているか、それともその目に見える世界だけに生きているのか?。そしてその信仰がより普遍的、真理であるかである。「正しい者は信仰によって生きる」「義人はいない1人もいない」私は信仰によって生きる。
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