本来の面目
「春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」道元の本来の面目と言う詩だそうです。ただ当たり前のことを当たり前に詩っていると言えますか?その点では「五月雨をあつめて早し最上川」「荒海や佐渡に横たふ天の河」などにも見られるところかなと。そしてそれを見ている目は芭蕉の「よく見ればなずな花咲く垣根かな」の目と同じ目のように思われる。その目は毎日目の前の忙しさの中で見ているような見ていないような目ではなく、或いは自分の欲のサングラスを通して見る目ではなくいわゆる人間の本来の元々備わった心性本浄の目で見ていると言うことでしょうか?そしてそこには全てものがあるがままにその本来の面目の中にある。それは道元の言う「万法に証せられる」と言うことでしょうか?キリスト教では全ての被造物が神の栄光を表していると言うことでしょうか?。そして人間だけがリンゴを食べ罪に落ちた結果欲に曇ったその心で見ているということでしょうか?願わくば自我によって曇った心の雲を取り除き心性本浄の目で見て静かな平安の中にいられますように!感謝!
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