四住期
今日人が訪ねて来て「四住期」の話になった。私は今「林住期」を生きている訳ですが、そもそも今の世に四住期などと言う発想があるんだろうか?私は幼くして人生の無常を知り50歳代半ばでこの山里で四住期のうちの林住期の生活を始めました。私にとってこの林住期に求めるのはピラトの言う「真理とは何か」の真理です。圧倒的に多くの人が真面目に真理などと言うことは考えないし、真理などと言えば笑われる時代(ピラトに笑われたイエスのように)、でも求め求めて渇く人も世に僅かにはいる。この山里で、一人暮らし、農業と、渓流釣り、そして聖書、仏教関連書を読みふけり自分を見つめて暮らす日々、禅の教科書に「10牛図」と言うのがあります。その十牛図の一枚一枚を生きてきた私、さしずめ今は牛を見つけ牛に乗って家に向かう道に入ったところでしょうか?牛を追いかける道に迷いこんだ私、でもこの道を行くしかない。願わくばやがて遊行期に入り一升徳利を抱え貧しげな姿で世を徘徊したい。もしこれが出来るなら、世にたとえ僅かでも尽くす事が出来るかと。十牛図で言えば真っ白な何もない絵にたどり着きそして10枚目のただ丸い「円」の世界に行けたらと思います。この世にある間は完全な円には辿りつけないかとは思いますが、この世を去る時にはそうありたいと思い、この林住期を生きています。今日、徒然なるままに…。
コメント