趣味(4)絵画ーその3
教室に再入学して本格的に絵画に取り組みました。教室の人数も増えてきて資金的にも少し余裕が出てきたことから時々はモデルさんを頼むことも出来ました。最初の裸婦の時は少し緊張しました。しかし裸婦、いわゆる女性の裸、をしっかり見て、その美しさにも感動しました。そしてまた静物など書きました。私は最初具象画を描いていましたが、だんだんつまらなくなってきて、いわゆるデフォルメしたりするようになりそして抽象へと進みました。最初はその日その日で教室としてのモチーフがありました、しかしそれだと自分がこれで良いと筆を置くところまで同じテーマで書き続けることができず、先生と相談して別途「大作コース」を作っていただきました。そこでは自分の描きたいものをいつまででも、自分がこれで良いと思うところまで描きつづけることが出来ます。ここからが本当の絵画となりました。絵が終わると例によって一杯始まります。そこでは絵画論、作家論、美についてなど議論しながら飲みます。それから場所を変え二次会、そしてカラオケへと楽しい時間でした。先生も小さい頃両親を亡くしており、また絵画以外にも文学、哲学、音楽、宗教等造詣が深く2人で飲むとお互い熱くなり果てしなく議論したものです。先生はバッハが好きでよくバッハに ついて熱く語ってました。それが私もやがてバッハに惹かれる行くきっかけだったかも知れません。そうやって絵を描き議論を重ねるうちに本当に気心知れた心友のようになりました。絵の何たるかも少し分かったように思います。この先生がいなかったら絵も途中で嫌になっていたかもしれません。勿論私も近代絵画の歴史とかもしっかり勉強しました。好きな画家は近代絵画の父セザンヌ、ゴッホ、マチス、クレー、カンディンスキー、ロスコ、等々です。もちろん先生の絵も大好きでした。グループ展も時々開きました。そんな風に25〜6年絵を描き続けました。基本的に仕事は嫌いでしたから40代からは第2の人生について考えていました。元々定年になったら故郷に帰ることは東京に出て来た時から決めていましたが、山、本、音楽、絵と趣味が広がるにつれ田舎に帰って百姓をしながら自給自足を理想に、好きなだけこれらの事をやりたいと考え、段々早期退職制度の利用も考えるようになりました。先生にアトリエを作るとしたらどんな事に気を付けつけるかとか質問するようになっていました。50代初めに田舎に庵を確保して週末を過ごしながら田舎暮らしの練習、そして50代半ばで田舎暮らしを始めます。念願のアトリエもあり思う存分絵が描けると張り切りました。そして今に至ります。
こうして仕事、そして趣味、そして今田舎暮らしへと私を導いてくださった主に感謝します。写真は私の拙い作品です。油絵。
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