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2020年1月

2020年1月 9日 (木)

よく見ればなずな花咲く垣根かな(ⅱ)

「よく見ればなずな花咲く垣根かな」
芭蕉の句です。
今朝、ふと思いました。この句を詠むほどの詩人の感性に、あるいは心境になりたい。ではなく、それもあるけど、「このなずなのようになりたいと。」自分からは何も語らず、人からはよく見ないと気付かれない存在、ぺんぺん草と呼ばれ、人に相手にされない花、でもね、よく見てくれる人(目覚めている人)には静かな喜びを持ってその人の心に宿る花。
またでもね、山道を登りながら考えた。「あなたがたは、鳥よりもどれほど価値あることか。」と言ってくださる方からたくさんの恵みを受けてこの世に来た私は、一度なずなになって、そこから何かができるのではないだろうかと。しかしまあ、このなずなになることさえ一生涯かけてもなれないかもしれないけど…😥

2020年1月 8日 (水)

あなたはどこにいるのか?

神様はアダムとイヴを探して言います。「あなたはどこにいるのか」と。この時アダムは既に善悪を知る木の実を食べていました。以前の私と同じように神に背を向けた者となっていました。裸でいることを恥ずかしいと知り、神から隠れていました。そこに神が言われます。「あなたはどこにいるのか?」と。一体私は今、何処にいるのでしょう?この娑婆と言う世界にドップリ浸かってこの世に居ます。神の国からはすっかり離れています。そしてこの世での幸せを求めています。

そんな私に神は呼びかけられます。「お前は何処にいるのか?。そこに居て良いのか?。それがお前の本当に望むところなのか?」と。そしてもしお前が今の世に渇き、何かを求めているなら「わたしについて来なさい。」と。「渇いているものは、わたしのところに来て飲みなさい」と。

神に感謝します。私を選んでくださり、あなたの元へと連れて来てくださったこと。私はあなたと共に歩きたいのです。どうか共にいてくださり、この世での残された命を聖なるものに作り変えてください。それだけが残されたこの世での日々の望みです。

2020年1月 7日 (火)

ついて来なさい。そうすれば分かる!

「ついて来なさい。そうすれば分かる。」この言葉は最初の弟子となるペテロ、ヨハネらにイエスが最初にかけられた言葉です。勿論、彼らはイエスが何者か、どんな力を持っているのか、どんな人か知りませんでした。その彼らに対し、イエスは自分が何者かを語ることもなく、ただ「ついて来なさい」と言われました。そして彼らはその言葉に応え、ついて行きました。普通、何者かも分からない人については行かないと思われるのに…。そして現代、私がもしイエスに、ついて来なさいと言われたらついて行くだろうか?私たちは今もイエスから「ついて来なさい」と呼びかけられているに…。勿論、彼らはイスラエルの国民であり昔から旧約聖書はそれなりに学んでおり、神とか救い主とかのことは予備知識的には知っていたとは思われるが…。そして当時イスラエルはローマの支配下にありイスラエルの人々は救い主を待望していたとは思いますが。(彼らが待ち望んでいたのは、政治的な、物理的な救い主ですが…。) 何か本当に切実なものを求めている時には、たとえ相手のことを詳しく知らなくてもこの人は何か持っている、なにかを感じる時、思い切って飛び込むことも必要なんではないでしょうか?それが信じると言うことかもしれません。いわゆる清水の舞台から飛び降りたつもりと言うやつですか。でも、わたしはやっぱり飛び降りたら怪我するよね、と飛び降りることはしないでしょう!

そして弟子たちはイエスと一緒に旅を続け、色々な経験、教えを共有しながら、かなりの時を過ごした後、イエスは彼らに言います。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」と(これは、彼らが望んでいた政治的救いではなく、魂の救いのことであり、この時彼らには本当の意味は分かりませんでしたが。)ついていけばやがてイエスが何物か分かる。そしてイエスを通して真理に到達すると。と言うことで、それは今イエスの言った言葉です。

ついて行きなさい。そうすれば分かる!ついて行くか、まあ止めとくかです。選択は自由ですが…。

2020年1月 4日 (土)

お祭りの終わり!

先程息子夫婦が高松に帰り年末から続いたお祭り、宴会の日々が終了しました。この約1週間の間、毎日お酒は欠かさず飲み、ご馳走を食べ続けました。クリスチャンの私としては全く慎みの無い無分別な日々でした。胃の調子も悪くなり、残ったものは胃の不快感と、送った日々の虚しさです。まあ息子夫婦も喜んでくれ普段遠く離れているので、親しく交流が出来たことを良しとしたいと思います。明日から新しい日々を迎えます。キチンと教会に通い心に清い刺激をいただき生活が清くなるように導いていただきたいと思います。わたしには段々、世に従うことがバカバカしくありますが、一方家族は皆クリスチャンではなくわたしの思いの多くは共有することはできません。一つ屋根の下、協調も必要であり自分は僕とし生きることに徹底はしているつもりですが、まだつい自我が主張し不協和音になります。自分も家族も不快な思いをし、そのたびに自分の信仰の弱さを知らしめられます。まだまだ、私の自我は死ぬことが出来ずにいます。自分の十字架を背負ってキリストに従うことが出来ずにいます。私は仕えるためにこの世に来た。イエスは自分の命まで捨てて神に、私たちに仕えてくださった。このことを体の隅々にまで染み渡らせてくださるように祈ります。アーメン!

2020年1月 1日 (水)

明けましておめでとうございます㊗️

2020年を迎えました。生まれたのが1950年ですので70歳の年を迎えました。よくぞ70年生きて来ることができました。敦盛では人生50年…と吟れますがそれより20年も長くなります。そして下天は夢かと言うように振り替えると全ては夢幻かと思われます。全てのことがあったようで実はなかったかのように感じられます。結局、今を大事に生きる事であり、今だけが生きていると言う事でしょうか?これからは今までの何倍かのスピードで老いを感じる日々になるかと思いますがその日その日を誰かに心から仕えられる日々を送れるように精進したいと思います。聖霊がどうか導いてくださいますように!全ての生きとし生けるものに神様からの恵みが豊かに溢れる年であります様に御祈りします。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」テサ1、5:16〜18