住む世界
人は自分たちといわゆる常識が大きく違う人に「あの人とは住む世界が違う」と言うことがある。
私の住む世界、それは常識が概ね共通の人々との世界、物理的に同じエリア(例えば日本、或いは1つの地方など)に長く暮らし、学び、会話して歴史を重ねると基本的なものの考え方、いわゆる常識が概ね同じになる。例えば長く一緒に暮らした夫婦などは「あれ、それ」などで会話が成立し、正に「住む世界が一緒」と分かる。
今日、ある本を読んでいたら余白こんな事が書かれているのを見つけた。「人は霊の世界で満たされない限り本当の幸せはない。真理の世界」と。今日、同じ箇所を読みこのメモを読んで、「 人は」と言うと全ての人はと捉えられるが、みんなそうなんだろうか?むしろここで言う「人は」と言うのは特定の人であり、いわゆる一般の人から見れば「住む世界が違う」人と言うことにならないかと?この現在の日本では多くの人は、健康で程々にお金があり美味しいものを食べられ、たまには旅行にも行き、程々に良い着物、良い家、家族円満…etc.を幸せと呼び、それを求めて日々頑張っているのではないだろうか!それがいわゆる常識的ではないだろうか?とすればこのメモを書いた人は、この世の多くの人とは「住む世界」が違うと言うことにならないか?だとしたらこの世には住みにくい。多くの人も受け入れ難い。
なら、みんなと一緒の世界に戻ってきたら?しかし真理の世界を追求した者にとってはそれも虚しい。じゃあ、一体、どうしたらいいんだ🔑🚸一人、その道を行く気合も無いのか!
ところで、皆さんはどの世界に住んでいらっしゃいますか?願わくばみんなと一緒の世界に住んでおられますように!
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