趣味(1)山ーその1
今日は趣味のうち山について書きます。
私が生まれたのは信州南部、家からアルプスが見えます。そこに当たり前にアルプスがあり、従って小さい頃は何にもそれに意識する事なく育ちました。そして小さいうちに両親を失いました。この大きな悲しみによって繊細な感性が作られました。経済的にも精神的にも貧しい私は多分周囲に気を遣って生きることを余儀なくされたと思います。中学生くらいから悲しい事や、悩みがあるとき一人で山に登りました。その山に登ると眼下に大きな川が見え、眼前にはアルプスが見えます。そこに30分くらいボーと座っていると何も悲しみ、悩みが解決したわけでもないのに下山する時には晴れ晴れしていました。自然の「気」が癒してくれたのだと思います。東京に就職して独身寮に住んでいました。初任給2万円でしたが自分で働き収入を得られるようになり山に登りました。奥武蔵とか奥多摩とか東京近郊の低い山に月に1〜2回登ります。勿論一人です。ある日曜日の夕方山から帰り寮の風呂で先輩に会いました。私は東京でまだ日が浅く、当然仕事もまだまだなので、恐らく先輩は気を使って「今日はどこかへ行ってきたの」と話しかけてくれました。山に行ってきました。と言うと、山は楽しい?と問われたので「最高です」と答えました。すると先輩が、じゃあ会社の若い人たちも誘ったらいいじゃない。と言われ、それに対して私は生意気にも「いえ、山だけは妥協したくないので一人で行きます」と生意気な応えをしたのを覚えてます。それから山もだんだん奥秩父、丹沢、甲州の山々、八ヶ岳、南アルプス、北アルプス、中央アルプスと広がり、日光連山、東北の飯豊連峰、朝日連峰と広がっていきました。昭和40年代の土曜日の新宿駅を分かる方は懐かしいかもしれません。新宿発23:55南小谷行き夜行列車、その電車を待って地下通路にはリュックを持った人々が長い列を作ってました。中央線沿線から北アルプス方面の登山客は、多くこの電車を利用しました。所謂第一次登山ブームかと。
その頃の憧れは新田次郎の山岳小説「孤高の人」、確か加藤文太郎だったか?で基本単独行を続けていました。
趣味の項目を一回に一つづつ記述しようと計画しその第1回目で「山」について書き始めましたが、どうも長くなります。今日はここまでを、その1としてまた続きを書きます。人の趣味などどうでもいいと言わずお付き合いください。感謝!
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