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2019年8月29日 (木)

雨にも負けず

賢治の有名な詩「雨にも負けず 風にも負けず…欲はなく決していからずいつも静かに笑っている…東に病気の子供があれば 行って看病してやり…そういうものに私はなりたい」

高校生の頃この詩を読んだとき、冒頭の有名な句が頭に残り、これは頑張り屋の詩、頑張る人を応援する詩だ、と思いました。

歳をある程度とった頃、40代の頃からこれは賢治が本当に理想の生き方として、自分の目標とする人間像として描いていた詩だと思うようになりました。しかも必死になってそのように生きようとしてでもいきつかなかった。賢治は当時としては比較的豊かな家に生まれたにもかかわらず、本当の幸せを求めて人生を真剣に生きた人、最愛の、唯一自分を理解してくれていた妹を病気で早く亡くし、この時の詩「永訣の朝」も大好きな詩です。賢治と妹の心の通い合い、そして自分のことより相手を思う愛にも泣けます、死を前にした妹の「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあよにうまれてくる」 と言う箇所も泣かされます。そうして、傷心した旅で生まれたのが銀河鉄道の夜、そしてその中で「本当の幸せ」って何だろう?何処までも本当の幸せを求めて行こうと言う。そしてこの言葉は、さそり座の話の後に出てくる。

そして「雨にも負けず」、賢治は法華経の熱心な信者であったようです。私は法華経につてはあまりよく知りませんが、多分自分より他人の幸せを求めていたのかと思います。人は何よりもまず自分のことを大事にします。特に個人主義、自由主義の現代はこれが当たり前の時代かなと思います。でも多分賢治は自分の幸せとは何か?を、つきつめてつきつめた結果、自分の幸せとは周りの人の幸せを思い、そのためにできることは何でもしようと言うところにたどり着いたのでは。?それも他人の幸せに尽くす自分の心に他の人の幸せのためなど、そのような思いを一切持たずに(無心に)。これは聖書の最大の教え「隣人愛」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と同じ事かと。

賢治の雨にも負けずを読んでいると賢治は自分はスポットを浴びない陰に慎ましく居て、自分を捨てて、困っている人、病気の人…etc.いわゆる弱い人に尽くそうとする思いが伝わって来ます。それでいて最期は、人からはほとんど相手にもされない「そういうものに私はなりたい」と。  泣けます。そして感謝‼️

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